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川崎フロンターレの14番を背負った男

2020年12月21日、この日あるサッカー選手の引退セレモニーが行われていた。その男の名は中村憲剛。川崎フロンターレの顔とも言える選手だ。

私が彼の姿を初めて見たのは2014年8月30日のアウェイ名古屋戦。
当時はユニフォームもタオルマフラーも持っておらず、アウェイ席ではなくミックス席で観戦していた。
この試合で憲剛はJリーグ通算300試合出場を達成。この時から既にフロンターレの顔だった。
その試合では開始直後にFKを獲得。憲剛からのクロスにルーキーだった谷口彰悟が合わせて先制。憲剛からのクロスにルーキーだった谷口彰悟が合わせて先制。谷口にとってはこれがプロ初ゴールとなった。
谷口にとってはこれがプロ初ゴールとなった。

2016年、この年のフロンターレのユニフォームは復刻ユニフォームであり
背番号を入れないとゼッケンのような空白ができやや違和感のあるデザインと感じていた。

私は滅多にユニフォームに背番号を付けないので心中複雑であった。買ったユニフォームの選手が移籍したり背番号が変更されるのがあまり好きではないからだ。
しかしこの年限りは背番号入りのユニフォームを買うことを決意。そこで選んだのが14番、中村憲剛のユニフォームであった。
「彼なら引退するまでフロンターレの14番を背負ってプレーし続けるだろう」
そう確信したからだ。

憲剛の現地初ゴールを見たのは2016年のファーストステージ最終節。勝って鹿島の結果次第ではファーストステージ1位というホーム大宮戦。
前節のアウェイ福岡戦で憲剛は怪我のため欠場。チームも引き分け少なからず責任を感じていただろう。
しかしこの試合では前半に大塚のゴールでフロンターレが先制。そして後半に憲剛のゴールで大きな追加点を挙げる。

試合には勝ったが鹿島も勝利しファーストステージ優勝は逃した。しかしこの試合で憲剛のユニフォームを買ったのは間違いではなかったと確信することとなった。

セカンドステージの序盤には名古屋での試合があったのでこの試合も現地で観戦した。当時下位に低迷してた名古屋相手にチームは2点を先制。そして華麗なパス回しから憲剛がゴールを決め3点目。快勝といえる試合運びであった。

しかしこの試合で憲剛は相手選手の悪質なスライディングを受けて負傷交代してしまう。
それでも憲剛のいない2試合を1勝1分けで乗り切り、憲剛は我々が想定していたよりも早く復活した。

9月のホーム福岡戦では股抜きゴールも現地で見ることができた。そして初めて憲剛のお立ち台を見ることができた。

最終的にこの年中村憲剛はMVPを獲得。36歳でのMVP獲得は歴代最年長であった。

しかし最終的にはリーグ戦2位、天皇杯2位と相変わらずシルバーコレクターっぷりを発揮。
実はこのフロンターレ、2016年シーズン終了時点で三大タイトルとは縁のないチームであった。リーグ戦もカップ戦も、そして初めて到達した天皇杯も決勝も敗れて準優勝。この時ばかりは憲剛本人もタイトルに関しては相当諦めていたようだ。

そしてキャプテンを小林悠に譲って迎えた2017年。
スタートダッシュこそ失敗したが後半に追い上げリーグ戦は2位をキープ。ACLもベスト8まで勝ち上がって浦和レッズとの日本勢同士の対決となった。

ホームでの対戦を3-1で勝利したフロンターレはアウェイでは引き分け以上でベスト4進出であった。
しかしアウェイ戦では退場者を出すなど苦戦。1-4と敗戦し得失点差によって敗退することとなる。

その後中2日で迎えたアウェイ清水戦。このACLでの悪い流れを断ち切れるかが注目された。しかも相手の清水は昇格組といえどもホーム戦で試合終了間際に同点ゴールを決められた相手である。

この試合で憲剛はゴールこそなかったがFKから谷口の先制ゴールをアシスト。まるで谷口のプロ初ゴールのときのような決め方であった。

試合にも3-0で勝利。悪い流れは日本平の雨によって流れていったようだ。

その後も2位をキープして迎えた最終節。この試合は首位鹿島の結果次第で優勝が懸かった試合となった。
この試合にフロンターレは5-0で勝利。一方の鹿島は得点をあげることができず0-0で終了。この結果、フロンターレは最後の最後で首位鹿島と順位が入れ替わり悲願の優勝を果たした。
タイトルと無縁だった憲剛は立ち上がることができなかった。そして新キャプテンの小林悠と熱い抱擁を交わした。

連覇を目指す2018年、この年は開幕戦がエコパということもあり日帰りで静岡遠征に向かった。そこでも憲剛はゴールを決めてくれた。ついでにBKBも決めてくれた。

この年唯一等々力で観戦した9月の札幌戦でも得点を決めてくれた。

また、この試合は翌年新人王を獲る田中碧のプロ初ゴールの試合でもある。
憲剛の背中を見て育った世代が次世代のフロンターレを担う。こうして新たなスターは生まれていくのだろう。

この年は前年より早い段階でリーグ連覇を達成。しかしカップ戦では未だにに無冠であった。

2019年、ホームでなかなか勝てない日々が続いた。若手の台頭もあり憲剛の出場機会もやや減少傾向にあった。
そんな中でもルヴァンカップは決勝まで勝ち残った。そしてPK戦までもつれる大激闘の末に勝利し初のカップ戦タイトルを手に入れた。

しかしそれからわずか1週間後、憲剛に悲劇が襲う。
相手選手との交錯により負傷交代。前十字靱帯損傷という診断が下された。
3年前のように2試合で帰ってこれるレベルではなく、下手したら選手生命すら危ぶまれるレベルの重症である。

しかし憲剛は諦めなかった。長いリハビリを得て2020年の夏には練習に復帰できるレベルに回復。
そして8月29日のホーム清水戦。この試合で憲剛は久しぶりに等々力のピッチに帰ってくることができた。
そして…

いきなり復帰初戦でゴールを決めたのであった。おそろしい39歳である。

それから2ヶ月後の10月31日。この日は中村憲剛40歳の誕生日であった。
この日は等々力でのFC東京戦。バースデーゴール決められたらいいなとは思っていたが、正直厳しいとは思っていた。

しかしこの男は違った。なんとこの試合で憲剛はキャリア初のバースデーゴールを決めた。これが中村憲剛という男なのだ。こうして憲剛は1年前の大怪我から復活した。

しかしその翌日だった。
中村憲剛は引退を発表した。前日あのプレーを見せられて引退するとは思いもしなかった。

正直しばらくは実感がなかった。
しかし優勝決定戦や等々力最終戦を見るうちに「本当に引退してしまうのか」という寂しさがあった。
それと同時に4年前思った「彼なら引退するまでフロンターレの14番を背負ってプレーし続けるだろう」という言葉が現実になったことに感謝しかなかった。サッカー選手で一つのチームで18年間プレーし続けることは容易ではない。しかし憲剛はそれをやってのけた。

そして12月21日、等々力で引退セレモニーが行われた。
憲剛一人のためにフロンターレ関係者やOB、川崎市民、川崎市長、みんなが動いた。そのセレモニーはとても素敵なものになった。

最後のスピーチで憲剛は感謝の言葉とともに、子供たちにこんなメッセージを残した。
「体の小ささや身体能力の低さはハンデじゃない。逆にそのハンデをチャンスだと思ってほしい」
憲剛自身が華奢な体でも40歳までプレーできたことと重ね合わせ、それを見て子供たちや指導者には体の小ささや身体能力の低さだけで判断しないよう訴えた。
全文は以下参照

しかしフロンターレの2020年はまだ終わっていない。リーグ優勝したことによって天皇杯への出場が決まっている。
三大タイトルの中で憲剛が唯一獲っていないタイトルが天皇杯である。憲剛の背中を見て育った面々がフロンターレの初の天皇杯優勝に向かって邁進してくれると信じている。

(以下2021/1/1追記)
天皇杯準決勝ではブラウブリッツ秋田、決勝ではガンバ大阪を下し無事天皇杯初優勝を飾った。憲剛自身は準決勝に途中出場、決勝では出場がなかった。しかし、最後に出場したのが等々力であったことはある意味よかったのかもしれない。あらためて本当にお疲れ様でした。


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