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I hope someday you'll join us And the world will live as one.

前の夫(私バツ1です)から教えてもらった人生の生き方のひとつ。

先輩(年上)が奢るって言ったら全力笑顔で奢られろ
先輩が出した手を引っ込めさせるんじゃない

自分が奢る側、気を遣う側になって「ほんとそれ」と首がもげるくらいうなずきたい。
差し伸べた手を引っ込めることほど情けないことはないと思う。

あ、これは私(前の夫)の持論なので様々な意見があると思うけど
それは一回胸にしまっていただいて。

「気を遣う」ということは、一見マイナスなイメージがあるけど
本来はめちゃくちゃ愛なんだと思っている。私は。
いろんな気を遣う場面があると思うけど、そこに愛はありませんか?

大地真央も問うている。
「そこに愛はあるんか」

「気を遣う」という行為は、気を遣う側に余裕があって成り立つものだと思っている。
余裕がある人が、余裕ない人に気を遣ったら、余裕ない人に余裕が生まれる。
そしたら、余裕できた人がまた余裕ない人に気を遣う。
そうして繰り返して繋げていったら、ほら。
なんて優しい世界。

苦手な人に対して「気を遣う」場面もあるだろう。
そこには愛はないか?
周囲にいる人が不快にならないように、自分が嫌な気持ちにならないように考えて
気を遣っていると思いません?
それって、愛でしょう。

不快な発言をする人がいる。
逆上されないように、周囲が不穏にならないように「気遣って」NOを伝える。

そこそこ混んでいる電車でお年寄りが立っている。
「気遣って」席をゆずる。

苦手な上司とやり取りしないといけない。
なるべくさっさと関わりが終わるように、作り笑いでスルーする。
これも、自分のHPを減らさないようにする自分への愛のスキル。

みんな所詮は他人なわけで、こうして気を遣いあって暮らさないと。
ジョン・レノンだって言ってた「イマジン」

『すべての人が平和に暮らす様子を想像しよう』


読んでいただいてありがとうざいます。サポートしたいただいた気持ちをやる気に変えて書きまくります!