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才能は分け合う為のギフト

中学生の時、父の仕事の都合で海外に引っ越した私は現地のインターナショナルスクールに編入しました。
英語を学ぶ学校ではなく、英語で何もかもを学び、優等生の定義自体が日本のそれとは異なる学校で当時は四苦八苦しました。

寝ずに勉強した成果か1年半経った頃には成績優秀者の表彰はコンスタントに貰える程になっていたのですが、英語(向こうで言う国語)の授業だけは先生が厳しいこともあり、どう頑張ってもS評価が取れなかったのです。
言い訳する訳ではないけれども、英語を第一言語として操る他の生徒にとってもそのクラスでSを取るというのはなかなか至難の業でした。

唯一毎度S評価を取っているインド人の同級生がいて、彼に「あなたはとても努力家で優秀だし文才があるのね」と尊敬の念を込めて言ったことがあります。

その時の彼の返答はふとした時今でも頭で響くのです。

「得意なことはギフトだから、シェアする為に勉強するんだ。勿論好きであることが前提だけどね」

彼にとって才能や知識は個人の持ち物ではなく、
他の人にもシェアするためのものなのだと、学びとはそう言うものだとハッとしました。

小さい頃から母も

「誰かよりも秀でる為に勉強をするのなら、お馬鹿なままの方がずっと素晴らしいわよ。誰かのお役に立つ為にお勉強するのよ」

と言ってくれていたけれど、才能を天からの贈り物として受け取り、それを他の人とシェアするという概念は個人的にとてもしっくりときて、今後肝に銘じようと思うのでした。

今の自分の仕事やライフワークは、
自分のためだけでなく、
誰かにシェアするために行えているだろうか。

ふと思いだして、
また忘れない為にもここに。

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