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きっかけ

 2006年トリノオリンピック。それまでも冬季五輪が好きで、テレビ放送は欠かさず見ていた。でも、この年は違った。私はフィギュアスケートに夢中だった。今から考えるとびっくりするが、当時、女子が3人、男子が1人、アイスダンスが1組しか日本は出場していなかった。ハイライトは女子だった。フィギュアスケートも含めて日本のメダルが一つもない中、迎えた女子フリー。純粋に得点とはならないが、見る者の心を奪う美しいイナバウワーを披露して、荒川静香さんが金メダルを獲得した。トリノの日本勢で唯一のメダルとなった。
 彼女は前回大会のソルトレイクシティオリンピックは出場を逃していた。2005シーズンも、グランプリシリーズの上位選手だけが出場できるグランプリファイナルにも出場できなかったし、トリノの切符がかかる全日本でも3位という成績だった。彼女が金メダルを取るなんて、誰が想像しただろう。女子のショートプログラムは2分50秒、フリーは4分という演技時間に対して、何年という地道なトレーニングと世界中を駆け巡る遠征試合。1秒1秒が奇跡の連続という現実に私は打ちのめされた。こんな素敵な瞬間を撮ってみたい!強くそう思った。が、すでに日本では写真撮影が禁止されていた。こうなれば、許可されている海外の試合やショーに行くしかない!私のワクワク度が一気に上がった。
 2008年、私はイエテボリで開かれた世界選手権へ旅立った。当時使っていたカメラはニコンのD80で、レンズも普通の標準レンズ。上手く撮れるはずがないのだけど、毎日毎日撮っていると少しずつ上達しているように感じた。―もっとうまくなりたい!専門書を読み、ダンスやサッカーを撮って練習する日々が始まった。機材もどんどん増えていった。

2011年 Art on Ice(スイス)

 年に1度の長期休みを利用して撮影を続けていた2020年。突然それはやってきた。新型コロナウイルスの世界的な大流行。海外旅行はおろか、県をまたぐ移動も制限されるようになってしまった。人との距離が遠のき、写真を撮ることも当然のことながら、皆無となった。

2017年 世界選手権(ヘルシンキ)

 そうこうしているうちに、手洗い、消毒、マスク着用することで少しずつ行動範囲が元に戻っていった。クリス・リード杯が軽井沢で開かれることが決まり、撮影のボランティアを募集している記事を見つけ、私はすぐに応募した。また撮影ができる!そんな喜びに心が躍った。
 ある日、高校の先輩のイラストレーターのKさんに誘われ、ブライダルカメラマンをしているNさんに会うことになった。それまでいわゆる自動モードで撮っていた私に、Nさんが言った。「マニュアルは撮りたい絵になるように撮れるんだよ」・・・今でこそ、マニュアルでしか撮らない私も、当時は自動モードしか使えなかった。もっとうまく撮りたい!私は先輩が一年通ったという写真学校に通うことに決めた。
 写真学校に通い始めて数週間が経った頃、私はヒカリエに立ち寄った。そこで開かれていた展覧会は「テランセラ」というタイトルで、モデルの山中夏歩さんの個展だった。展示は、プロやアマチュアのカメラマンが撮影した山中さんで埋め尽くされていた。ポップなものから、ノスタルジックなもの、華やかなもの、しっとりしたもの・・・様々に表情やポーズを変える山中さんに圧倒される。図録を買って、何度も何度も見返した。学校でもみんなに見せたと思う。組写真の勉強になったし、季節感やシチュエーションを学ぶのにも役立った。私も撮ってみたい。純粋にそう思った。ポートレートが何かもわからず、有名な写真家もモデルも知らなかったけれど、私は迷わずポートレートの世界に飛び込んだ。

そして、今、私はポートレートなしでは生きていけない。

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