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「私が旅好きになった理由を考えてみた」前編



旅好きNagiです。


そう、この最初の挨拶にも入れているくらい、私は旅が好きです。


11月7日に、48日間世界一周ファーストクラスの旅を終えて帰国しました。
この旅は、「死ぬまでにやりたいことリスト」の上位にあった願いでした。
念願叶って、旅に行けて本当に幸せな日々でした。


でもなんでここまで旅好きになったのか、についてこないだふと考えてみました。
おそらく「沢木耕太郎さん」の本を、この1ヶ月くらいで10冊くらい読んでいる影響です笑


旅好きの方は当然旅の良さをわかっていると思いますが、果たしてなぜここまで旅が好きなのか、ということを
改めて考えたことがなかったので、まずは自分の土台になっている「過去」を振り返りました。


書いているうちに、かなり長くなったので、
「前編」と「後編」に分けました。
お暇がある方は、ご覧ください。


コロナ禍では、国内旅行三昧でした



1 転勤族の父


私の両親は福岡出身ですが、私は静岡生まれです。
父の転勤でその頃静岡のダムの近く、南アルプスの麓で生まれています。
2歳で父が福岡へ転勤となったので、静岡の記憶は全くありません。
両親の金婚式で、家族みんなで一緒に新婚時代を過ごした、
静岡県井川地区に行きましたが、
50年ぶりくらいに訪れた母は「よくこんなところで私は暮らしてたわ」
と感慨深そうにしていましたが、私にとっては初めての土地のようでした。

その後、私が学校に入学すると、転勤族の娘ゆえ、転校の嵐となります。


小学校1回
中学校3回
高校になって落ち着くものの、その後進学で東京へ。

引越し回数は、すざましい数になると母が言っていました。
母も大変な人生だったと思います。


小学生の頃に住んでた街の
最近の様子



2 アメリカ高校留学


国内旅行は、父が車で連れていってくれた近県と、修学旅行で京都に行ったことはありましたが、それがいきなり、地方の高校生がアメリカに10ヶ月間の留学。

ここで、パスポートを持って飛行機での移動に慣れていきます。

帰国時には隣に座っていたアメリカ人女性とずっと喋り続け、一緒に到着ゲートを出てきた私をみて、母が気づかなかったくらい、染まっていたらしいです笑


マクドナルド一号店


3 客室乗務員になった


移動するのが仕事、という仕事に就いたことは、偶然だったのか、運命だったのかは分かりませんが、自宅にいるのが月のうち半分以下という生活。

早朝から昼過ぎ。
昼過ぎから深夜まで。

元旦も四時起きで仕事や、
ゴールデンウイーク、夏休み、春休みは、幼稚園の先生になったかのような生活でした。
ほぼ、月の半分以上をホテルで過ごす生活を6年ちょっと送ります。


それにも懲りず、従業員優待無料航空券を使って、休みにはまた旅行に行く・・・という、移動距離も、回数も人よりもかなり多かった生活を送りました。

東京ベースで採用され、その後福岡ベースに移動になり、人生の岐路の旅に引っ越しや移住(国内)をし、
私が成人してからの引越し回数は、13回になります。


でも、ここまで考えて、「これだけじゃないよな」と
さらに過去を振り返りました。

そうして出てきたのが、「習い事」でした。

次回「後編」では、「旅好きになった原点」に迫ります。
(自分で迫るんですけどね笑)

どうぞお楽しみに!!

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