永遠に手に入らない、 情報

報道の仕事をしていると、必ず言われるのが

『何故、マスコミは全てを報道しないのか』

というもの。


まぁ、毎日毎日知らない人に会うことはほぼ無いけれども、初対面の方や、知らない人に仕事を知られた時などは10人のうち、9人がそれを口にする。


どう説明すればいいのか、初対面のいきなりの人に言葉を紡ぐのはとても辛いことなので、大概私は話を合わせて苦笑いするか、口をつぐんで立ち去るか、だ。



口頭で伝えるのは難しいから、それはやめてしまっているけれど。


じゃあ、全てを伝えたら、そう言う人達は、
その全てを知ってくれるのだろうか?
その全てを知ろうとしてくれるのだろうか?
その全てを吸収してくれるのだろうか?

伝えた全てを知ろうとしてくれるのだろうか?



山のように入ってくる情報。文字や映像にされた事実達。

全世界中で1分1秒とも欠くことなく行われ、次々と更新される、政治、経済活動、安全保障行動。生活情報、気象情報。旅やグルメもなんでもござれ、エンタメ情報もそれに数えてみよう。

例えば、今日iPSの生体角膜移植が成功していた、という発表があったけれども、
TICADにはそれは関わっていないし、
トヨタやスズキが資本提携したことはその開催に合わせた事ではないし、
いまさら、韓国の前大統領がどういう判決を受けて、更にそれがいまどうなっているかなんて

知ったこっちゃないし、興味などないでしょう?



ネットで調べればほとんどの事柄は出てくるけれども、それは自分が興味を持ち、調べたい事柄しか出てこない訳で。

北朝鮮の安全保障について調べようとしても、そこに福島の農産物の輸入制限の各国の現状や数値などは出てこない。

イランの核設備やその開発とそれが欧州に与えている影響を調べていても、そこにはやぶさに使われている技術を応用した最新鋭の車椅子の開発秘話は書かれていない。

情報は選びとられるものだ。

今日のニュースを見たら、TLを見たら、世の中の動きは大体わかるという人でも、そのニュースを24時間見たりはしないし、フォローしていない人達や知らない公式アカウントが流す情報までつぶさにチェックはしないだろう。


自身が知りたいから知れる事柄。
自身が選び取っただけの事柄。

24時間ニュースを見ていれば知ったかもしれない未知の事柄は垂れ流しにされ、誰も興味を持たないと分かっていながら生み出された情報は、無視されて、腐り、ただ降り積もる。
だというのに、それをその時見ていなかった人達に、数日後、そんなことは知らない、誰も伝えていない、誰も教えてくれなかったと言われてしまう可哀想な文字や粒子達。
それらはいじけて腐ってしまっただけだというのに。


この世界には山のような出来事を文字や映像にし続けている人がいる。黙っていても降ってくる、誰かが文字や目に見えるものにしてくれた生きた断片。


伝えないのではない。発信していないのではない。

誰にも興味を持たれないから、書いたまま、流したまま、そこに漂っているだけだ。


空気中を飛び交う情報は、その人の手に入らなければ、目に入らなければ、耳に入らなければ、なかったことになる。

F35Bが墜落したのか、とそれを調べる人は、きっとF35にはAもBもCもあることを知ることが出来るが、
浄土宗の全国学術大会が先日行われて、そこで発表されたことで全国の住職達の考え方がどう変わったのかを細かく知ることは出来ない。



山のように書かれた原稿達は検索されなければ、世に存在しないのと同じなのだ。

自身が得たいから、それは断片的に自身に入ってくるのだというのに。

自身が得ようとしないものは、永遠に知ることは出来ないだけだというのに。



世界は止まる事なく事柄を作り続けている。
それに興味を持つ人はごく僅かだ。
死にゆく事柄達は、とても無口だ。



誰にも検索されることもなく、
興味を持たれることもない、知らない誰かの営みは、今日もひっそりと永遠の眠りにつく。




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