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昨今の「美少女ゲーム」文化について思うこと

日本のアニメは海外においても言わずと知れた日本の文化である。

日本のアニメで日本語を学んだと言う人も多いのでは無いだろうか。

けれど実はエロゲーだって多分日本の文化だろう、多分。
To heartやときめきメモリアルは海外のヲタクたちにも大人気の作品だろう。

だが、昨今のエロゲ界隈、私は少し思うところがある。
私は恐らくめんどくせぇステレオタイプのヲタクなので難癖をつけるとすると

「なぜエロゲーを紹介する時にわざわざ「美少女ゲーム」と訳すことが多いのか。」
いやはや、えろゲーはエロゲーだと、そう思うのだけど…

確かにエロゲから人気が出てアニメになった作品や、そもそも18禁では無い恋愛アドベンチャーものだって確かにある。

18禁ではないものに至っては「美少女ゲーム」と訳すのがむしろ正解だろう。
 だけど元々エロシーンがあってエロゲとして売り出していたものに「美少女ゲーム」という呼称をつけるのはいかがなもんだろうかと思う。

それが許されてしまうのであれば例えば登場人物が全て熟女の陵辱もののエロゲだって「美少女ゲーム」扱いしても許されてしまう。
あれはどう見ても「美少女」では無いだろう笑

エロゲーは企画開発からこの世に出た時からエロゲーなのである。
途中で何ら性転換とかしないし、エロゲーとして生み出されたものはエロゲーなんじゃあああああ(もはや投げやりw)

どうして人はエロという存在を隠したがるのだろうか。
たしかに小さい子が見たら過激だし教育にも良くないからエロは規制するべき!という意見もわかる。

でもある政治家もどきが言っていたように
「元々はエロの結果から生み出されてきた自分たちという生命体がなぜエロを恥じらう意味があるのか」
と思うのだ。
エロがあるからこそただのストーリーに心理考察を交えて楽しむことが出来る。 それがエロゲーの面白さだと私は思うし、何よりエロは人類の源で、人類発生においては必要不可欠じゃないだろうか。

造り手たちが「エロゲー」として愛情を込めて世に送り出したエロゲーたちをどうして私たちが勝手に「美少女ゲーム」という存在に改変出来ようか。エロゲーの「エロゲー」という性質を否定できようか。
「美少女ゲーム」などという可愛らしい名称で誤魔化すことが出来ようか。

もはや「誰お前!!!」状態なのである。私は。

まぁ呼称なんてどうでも良くない?と思う人が大半で私も「まぁ、どっちでもいいか、そんなん。」
という気持ちが無くはない笑

だけど面倒臭いステレオタイプのヲタクである私はそれを拒絶している。
「オタク」というカタカナ表記をわざわざ断固として「ヲタク」とかく、そんな感じのこだわりなのだ。




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