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私のターニングポイント【清水カップ】

それは、私が数え年で「25歳」の時であった。

バブル経済の余韻が続く世の中、仕事に遊びに全力疾走をしていた。毎月100時間をゆうに超える残業をこなしながらも、土日にはスキーにマウンテンバイクに明け暮れる日々。阿呆な生活であったなぁ。。

それは、残業代で買った新車、生まれて初めて手に入れた高級車であった。

それが・・・
近くの国道で信号待ちの最中、、 「ドガン! ゴン」
後ろっからおもいっきり追突されたのだ。勢いで前車にも玉突きしていた。車を降りると見事に前も後ろもクシャクシャになっていた。

全治2か月であった。

あぁ、2か月なのは車です。。 私は無傷であった。

◇◇

ところが!!

この無傷の事故から10日後、私は病床にいた。

事故の加害者(保険会社)から手当てされた代車で、マウンテンバイクのレースに参加していたのだ。はい、事故前からエントリしていたレースだったんです。ダウンヒルという競技でした、スキー場のゲレンデを「だーっ!」と自転車で駆け降りる競技なのだ。そして、ゴール直前の直線を・・・


ハジメテの救急車であった、40日間の入院生活の始まりだ。

◇◇

左鎖骨の複雑骨折であった。
が、(左だから左骨じゃないよ、右にも鎖骨はあるんだよ)なんてくだらないことが言える状態ではあった。幸い時間が解決してくれるケガであり、将来に不安はなかった。

いや、オオアリであった。

やっと仕事を覚えたばかりの入社3年目。欠勤を機に異動することになった。懇意の女性とも疎遠になってしまった。詳しくなったのは、病床で深夜まで見ていたテレビ、バルセロナオリンピックの金メダリストばかりであった。

そんな中、お見舞いに来てサポートして頂ける両親友人には、本当に感謝しかなかった。これから先どうなるんだろう、不安をごまかすためにテレビを見ていたのかもしれない。
あるとき、お見舞いに来てくれた中学からの親友M君が、ひとこと

「俺たち厄年だよな?」 「おまえ厄除け、行ったか?」

「カマ掘られた時点で、神様が『じっとしとれ!』と言うとったんや。お前は、警告を無視したから、こんなことになったんやで。」


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あれから28年

改めて、我が家の家族構成を紹介しておこう。妻と息子、私の3人暮らし。そして、我が家の恒例行事が・・・

「か み だ の み ~!」

反省を経て、人生の節目で、神社仏閣に参拝に行くことに決めたのだ。そして、その効果は「テキメン!」(通販じゃないよ)

ここからは、『旅日記』
我が家(なぐなぐ一味)がこれまでに訪れた、神頼みの場所を紹介しよう!

1.太宰府天満宮

ご存じ学問の神様。ここは息子の大学合格祈願に訪れた。
やはり、歌に詠まれたように梅の咲く季節に訪問したいですね。あと、「梅が枝餅」と、駐車場前の「お好みたい焼き」もお忘れなく。もちろん結果は合格!、ご利益ありでした。

2.法多山 尊永寺

しぞ~か(静岡)を紹介しないと『清水カップ』の名が廃る。静岡は袋井市にある、遠州三山のひとつで厄除観音として有名。私の厄除け(数え42歳)、息子の厄除け(数え25歳)に参拝。もちろん、無病息災。訪れた際は、「法多山だんご」夏には加えて「だんごかき氷」もお忘れなく。

3.水火天満宮

今年最大のご利益。
コロナ禍で、就職活動がままならぬ中、心が折れかけていた息子を救ったのは、お参りでした。就職祈願に訪れてから、心が落ち着いたのか、念願の業界に「一発合格!!」
これで、来春からの進路が決まりました。息子の旅立ちです。まさに我が家のターニングポイントを決めた「かみさま」でした。
ここも名前の通り、菅原道真公に由来の神社で、貴族が宮中での就職を祈願して訪れていたのが始まりとか、、


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本記事は、コメント王である「庵忠茂作」さんの企画に応募したものです。


最後に、記事を書く機会を頂いた、庵忠茂作さんをはじめとする「詭弁論部」の皆様、ありがとうございます。骨折した際、病床にて、ヒトの繋がりって本当にありがたいな、と思ってから30年あまり。
改めて、色んな方と出会い繋がりを持てたことに感謝です。

また、家族の大切さも改めて再認識した一年でした。家族との時間を第一にしながら、ゆる~りと note も続けてゆきます。更新頻度は高くないですが、忘れられない程度(笑)には、更新を続けてゆきますので、宜しくお願いします。

しばらく、更新しない日々が続いたとしたら、それはきっと「旅」の最中だと思ってください。



(おしまい)

最後まで読んで頂き、ありがとうございます😊 コメントも、励みになります。是非どうぞ! サポートは、旅先でのお酒に・・