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演劇・展示鑑賞メモなど。これからは留学日記にもします。

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    Underneath the lovely London sky

最近の記事

Mojito.2020.8.29

夏の記憶によく似合う。ミントとライムと、氷のカラコロいう音。 日ざしがものすごい。ひなたを歩くだけで、溶けるでもなく、焼けるでもまだ済まされない、照射されているような感覚。ただでさえそれなのに、四川麻婆豆腐を食べたあとの体温となれば汗というより齧り付いた小籠包から肉汁が溢れ出すようにべったりと体にまとわりつく液体、マスクの下は鼻からくる風邪をひいた上にクシャミした直後みたいになっている。肘関節の窪みに鼻を当てるようにして時折拭い去る。あーーーーーーーーーが頭の中を支配してそ

    • フェミニズムと私の距離

      「安心できる場で、自分の言葉で、フェミニズムを語りはじめよう」の感想 「女としてみられる」ことへの違和感。中高一貫の共学で、「○○(名字)だから」と友人は男子も女子も私が私であることを了解してくれていた。だから授業中にガンガン意見言ったり、ハイハイって手を挙げてしゃべっても何の問題もなかった。 大学に入った。「サークル生活」とやらに月並みに憧れて向かった新歓で、 「男が話回すから、女の子はにこにこ聞いてれば大丈夫よ」 って言われた。おや?と思った。そう言う先輩はじつは「話

      • Lovely!の国に来た

        梨木香歩のエッセイだったか、イギリスの人はよく" Lovely!"って言うって聞いていた。まじだった。 交換留学で来ている。荷物は限界まで詰めた、徹夜で詰めた、両手にスーツケース2つとからだの前後に提げたバックパック2個、中身はその思考力の低下した午前4時にヤケクソみたいに詰めた、まじで要らないんじゃねみたいなものたちをふくむ、たとえば気温18〜20度という情報を持ちながらもいやでも夏ぞ?8月ぞ?とノースリーブやワンピースばっか詰めた圧縮袋、麦わら帽子、水着など。まだ学籍番

        • 地点『グッドバイ』観劇

          胸の真ん中にある骨をくっと押さえねばならなかった。それは動悸だった。間隙なく紡がれた一本の舞台に、同じ台詞を繰り返しては止まる機械のようなものが7つあるのに。なな、という数字、数えた覚えもないのにきちんとあっていた。 グッ ド バーイ! 爽快なバー イ。認識とか理解を差しはさむ余地なんてない。受け止めて、受け止めて、受け止めるより他にまったくない。音楽が途切れれば、こと切れた人形のように台詞は落ち、また始まる。 **一人が一人であるなんて誰が決

        Mojito.2020.8.29

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          『修道女たち』観劇

          ケラリーノ・サンドロヴィッチ まずオープニングと呼ぶにふさわしい幕開け、音楽とともに役者が一人一人照らされ、後ろに名前が出る。鮮やか。 時間の経過を文字で表しているのは映画のよう。 聖歌を歌う修道女たちは十字架、もとい、錨型に切る。 言葉の意味、言葉に意味はあるのかという問い、罪と救済について。 殺しちゃえばいいんだよ。 村人は歓待したふりをした、それはせめてもの修道女たちへの餞だったのかもしれない、 信仰?思考停止? 聖歌の意味などない、わからない。 覚えて祈るオー

          『修道女たち』観劇

          ロロ『本が枕じゃ冬眠できない』

          冬の図書館。窓はきっと暖かい館内と、外の気温差で曇っていて、人の少ない校舎の、ほんのたくさん詰まったへやを2人じめするのはきっと秘密基地をゲットしたみたいな気分だろうな。 本が大好きな少女と、そのお姉ちゃんとかつて付き合っていた先輩と、少女の友人と、友人の兄と付き合っている先輩。 きらきらと大好きな本の物語を説明する少女は、恋に備えてラブレターの準備をしているの。彼氏との恋に夢中の先輩は、馴れ初めを喋りたくて仕方ない。別れちゃった人に想いを残す先輩は、心の中に入りきらない

          ロロ『本が枕じゃ冬眠できない』

          イキウメ『太陽』

          旧人類と新人類に仮託された、「違い」の間に横たわる、高い高いハードル。旧人類「キュリオ」(骨董品の意)、と、新人類「ノクス」に分かたれた世界。キュリオは、山間部にごく僅かに残るウイルスへの感染を免れた人々で、一方のノクスは、ウイルスへの免疫を得てより強い肉体とクリアな思考を持っている。 とある事件から舞台は始まる。ノクスの唯一の弱点とされているのは、日の光。浴びると大火傷を負って、死んでしまう。 「仲が良かったのに、どうして…!」 経済封鎖をされ、「野球がやっとできるくら

          イキウメ『太陽』

          『セールスマンの死』観劇

          すごいもの、ちからのあるもの、籠められた、たましいみたいなもの、そういうのは、そのものが持っていた文脈から引き剥がして出してみせたところで、不動の、圧巻の、嵐の中に人々をまきこむのだ。流れてきた涙はつー、つー、と雨の翌日、車の天板から時折落ちてくる雫のように、止まりそうで、止まることはなく、そして何故だか、わたしの右目だけから、つー、つーと。 セールスマンの死。 ベルベットのスリッパ、電話一本。 一万ドルだぜ、一万ドルだ! あいつは大物になる、大器晩成なんだ ストッキングを

          『セールスマンの死』観劇

          『ラジオ太平洋』観劇

          時間と空間の旅。都内唯一の路面電車、都電荒川線は早稲田〜三ノ輪までを1じかんで走る。その1じかんで、電車を貸し切って、なんと生放送のラジオと並行して、行われる演劇。 時刻は昼下がり、座席に着けるちょうどの人数しかいない1両編成の車両には、秋空があたたかくひだまりをつくっている。ちん、ちん、とベルを鳴らして、レールにしたがって走っていく感じがなんだかおもちゃみたい。 「ラジオ太平洋、5.4.3.2.1」 とカウントダウンが入って、始まる。 劇の世界観は弱い。窓の外に広がる

          『ラジオ太平洋』観劇

          東京都写真美術館「写真新世紀」展

          写真を撮るって一体なんなんだ、、、「イイ写」だね、なんて言うけれど、ただキレイで華やかな写真なら「誰が撮ったか」が意味を持つことはない。キレイで華やかな写真が氾濫している今、写真における作家性とは、撮っている人の「視点」と同時か、それ以上に、その人が撮った写真に通底する意味なのかもしれない。  たとえば、タカデアズサさんのモノクロームで撮られた舞台袖からのバレエ、それに添えられた文章が無ければそれこそ「イイ写真だなあ」で終わっていたかもしれないけれど、自分自身が舞台に立つ側

          東京都写真美術館「写真新世紀」展

          オクトーバーフェストにまつわる覚書

          両足を交互にあげて道化のように跳ね回る、白髭の、黒縁眼鏡をかけたドイツ人の男性と、ぺらぺらした民族衣装を着て、銀に髪を染めた女性、そうして恰幅のいい、腹の突き出たもうひとりのドイツ人が、一リットルジョッキを掲げて、なにやらドイツ語で叫ぶ。ステージの周辺に集まった常連客はすっかりそれを覚え込んでいて、そっくりそのまま復唱する。底抜けに明るい音楽が始まると、酔いも回った客たちはテーブルの間をぬって踊り出す。ひとつむこうのテーブルにはドイツの民族衣装を着た四、五十代の集団があって、

          オクトーバーフェストにまつわる覚書