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理事長 村石久二の想い~財団設立に向けて  自著『澄和(とわ)』より その2

前回に引き続き、財団 澄和設立について、そこに至る理事長 村石の思いを自著『澄和』(2014年出版)からの一部抜粋も併せてお伝えします。


2012年11月。フィリピン・マニラ郊外のモンテンルパ(フィリピン最大の刑務所)の後方にある日本人墓地を訪ねた。
「あゝモンテンルパの世は更けて」の歌で知られるように、終戦後、フィリピンにい残された多くの日本兵がこの刑務所に収容されていた。そのうち、処刑された17名の方の墓が、モンテンルパ世界平和祈念公園内にあった。私は携えてきた花を供え、静粛な気持ちで手を合わせた。
モンテンルパに限らず、日本人戦没者の墓地や慰霊碑がある地を訪れる時は、必ず一度はお参りに行くことにしている。グアムでもミャンマーでも、同じように花を手向けてきた。
そして、戦争のない、平和な世界の実現に向けて、決意を新たにするのである。
近年、日本国憲法改正についての論議が絶えない。特定秘密保護法の成立や、集団的自衛権の行使容認への動きもそうだが、日本が二度と戦争をしないためにもうけたはずのいくつものハードルが、ひとつ、またひとつと外されていくようで、不安である。このままでは、やろうと思えば、さほどの足かせがなく戦争ができてしまう状況に、いずれならないとも限らない。「戦争をしない、巻き込まれないためにも、集団的自衛権の容認派必要」というが、そもそも、こうした動きをとること自体がどうなのか…。
戦後日本は、超スピードで経済発展を遂げた。そのため、特に若い人たちは「戦争とは何か」真剣に考える機会も時間もないまま、今に至ってしまっている。新たにつくった追悼施設を拠点に平和の祭典を催し、世界に向かって平和を訴えかけるなど、国民が一体となって不戦・平和への思いを共有することが大切なのだと思う。

戦争の影響を受けた世代は、我々が最後。今の70歳以上の方々が声を上げ続けなければ、平和への思いは薄れていってしまう。ただひとつの願い、「争いのない、平和な世界」を実現するために、私も思いを伝え続けていきたい。
そのために、近々、財団法人を設立しようと考えている。戦争の残酷さや、平和のありがたさを唱えるテレビ番組を放映するなど、営利目的のスポンサーがつきづらい活動を担うことで、少しでも世界に平和・不戦の思いを浸透させる一助となりたい。



『澄和』を著した翌2015年3月27日に、予定通り一般財団法人 澄和が設立されました。この3月27日というのは、村石がスターツを興した記念の日とも一致しています。村石にとっては第二の創業とも言えるでしょう。
 設立にあたっては、平和への思いに共感・賛同してくださる理事・評議員の方々が集まってくださいました。そちらはまたの機会にご紹介しますが、こうして澄和がスタートを切ったのです。始まったからにはいつまでも続くことを念頭に…。
(澄和 事務局長 青柳信久)