一般財団法人 澄和

2015年設立の一般財団法人 澄和(とわ)。スターツグループの創業者が、理事長を務めて…

一般財団法人 澄和

2015年設立の一般財団法人 澄和(とわ)。スターツグループの創業者が、理事長を務めています。「平和、人・自然 ~和む世界へ」をスローガンに、あらゆる命が共存する世界を目指し、一歩一歩取り組みます。「澄和Futurist(フューチャリスト)賞」を毎年10月8日(とわの日)に発表。

最近の記事

第2回澄和Futurist賞(2017年) その2  「平和、人・自然 ~なごむ世界へ

2017年10月8日=澄和の日に、後援をいただいている毎日新聞社の朝刊社告にて第2回澄和Futurist賞の発表がなされ、10月27日に千代田区にある学士会館にて表彰式が行われました。 映画監督の山田洋次さんは、「作りたい映画があり、作らねばならない映画がある。この二つが重なっている場合にいちばん良いものができるとの思いはあってもなかなか実現できなかった。こういう賞をいただいた今だからこそ、それができるんじゃないか。」とスピーチされました。『男はつらいよ』は日本映画の金字

    • 第2回澄和Futurist賞(2017年) その1  「平和、人・自然 ~なごむ世界へ」

      2017年の『第2回澄和Futurist賞』ノミネートにおいては、本賞のロゴ下にも表されているスローガン「平和、人・自然 ~和む世界へ」に沿った選考が進められました。 一口に選考とは言うものの、その過程は容易なものではありません。第一の条件は、長年「なごむ世界」につながる活動を継続して来られた方で、しかもそれが世の中に影響を与える独自のお取り組みであること。調べれば調べるほどそうした方々が数え切れないほどいる現実がわかり、また、著名な方であっても意外と知られていない社会貢献

      • 理事長 村石久二の想い~財団設立に向けて  自著『澄和(とわ)』より その2

        前回に引き続き、財団 澄和設立について、そこに至る理事長 村石の思いを自著『澄和』(2014年出版)からの一部抜粋も併せてお伝えします。 2012年11月。フィリピン・マニラ郊外のモンテンルパ(フィリピン最大の刑務所)の後方にある日本人墓地を訪ねた。 「あゝモンテンルパの世は更けて」の歌で知られるように、終戦後、フィリピンにい残された多くの日本兵がこの刑務所に収容されていた。そのうち、処刑された17名の方の墓が、モンテンルパ世界平和祈念公園内にあった。私は携えてきた花を供え

        • 理事長 村石久二の想い~財団設立に向けて  自著『澄和(とわ)』より その1

          前回まで第1回澄和Futurist賞にまつわることをご紹介してきました。 ここからは、財団 澄和設立について、そこに至る理事長 村石の思いを自著『澄和』からの一部抜粋も併せ、2回にわけてお伝えします。 (ちなみに、村石はこれまで10年毎に自身と会社の歩みを書籍に著してきました。タイトルはすべてオリジナルの造語で、それぞれ『夢現(むげん)』(1984年出版。創業から15年を経て、中堅企業へと進みだした時期)、『汗生(かんせい)』(1994年。バブル経済に翻弄されることなく堅実

        第2回澄和Futurist賞(2017年) その2  「平和、人・自然 ~なごむ世界へ

          すべてはここから始まった「第1回 澄和Futurist賞」(2016年)~その3「うれしい想定外続きの表彰式」

          2016年10月27日、初めての表彰式が開催されました。場所はこうした式典に雰囲気が合う、皇居近くの如水(じょすい)会館で当日を迎えました。 澄和Futurist賞の特徴の1つに、財団理念に共感してくださり、また、理事長の村石が個人的に親しくお付き合いさせていただいている方々を経済界をはじめ各界からお招きし、その場で受賞者の方々のお取り組みや生のお声を直にお届けするというものがあります。詳細は割愛しますが、当時、村石が内部向けに発信していたブログから一部抜粋し、式の様子をわず

          すべてはここから始まった「第1回 澄和Futurist賞」(2016年)~その3「うれしい想定外続きの表彰式」

          すべてはここから始まった「第1回 澄和Futurist賞」(2016年)~その2「平和、そして平和」

          記念すべき第1回目の受賞者の最初のお一人は、日本を代表する俳優の吉永小百合さんに決定し、続いて太平洋戦争の際、沖縄の白梅女子学徒隊員として従軍看護に携わり、その体験を語り続けて来られた中山きくさん、そして館主の窪島誠一郎さんが全国を回って収集した作品を展示し開館20年を迎えた戦没画学生慰霊美術館「無言館」(長野県上田市)に決まりました。(中山きくさんは、去る2023年1月13日にご病気により94歳でご逝去されました。心からご冥福をお祈り申し上げます。) 中山さんは、戦後教師

          すべてはここから始まった「第1回 澄和Futurist賞」(2016年)~その2「平和、そして平和」

          すべてはここから始まった「第1回 澄和Futurist賞」(2016年)~その1「奇跡は起きた!」

           何事も最初が肝心と言いますが、この澄和Futurist賞もまさしくその通りでした。  何もないところから仕組みを形作っていかなければなりません。候補者選びは当然のことながら、一番の胆(きも)であり、それは今なお変わりません。  どんな方に賞を差し上げるのか、また、こちらが良かれと思っても、果たして受け取っていただけるのか…。しかも、初回となると何の実績も信用もありません。澄和Futurist賞を実施することが決まったのが、2016年の5月。受賞者発表と表彰式は…同じ年の1

          すべてはここから始まった「第1回 澄和Futurist賞」(2016年)~その1「奇跡は起きた!」

          10月8日【とわの日】発表、澄和Futurist賞

           はじめまして。一般財団法人 澄和 事務局です。澄和の想いや取り組みなどを中心に時々記事をアップしていきます。多くの人が心の底で感じていたりすることと共通することも多々あると思いますが、共感の輪が少しずつ広がっていけばうれしいです。どうぞよろしくお願いいたします。  まずは、メインの活動でもある顕彰事業『澄和Futurist賞』についてご紹介します。 毎年10月8日を「澄和の日(10=と、8=わ)」とし、受賞者の方を3組(個人中心ですが、たまに団体も)程度、表彰させていただ

          10月8日【とわの日】発表、澄和Futurist賞