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71. 名古屋の女性は本好きだった?日本一の貸本屋「大惣」を徹底調査|Dylan McGeeさん

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江戸時代、名古屋人はどんな本をどのように読んでいたのだろう?断片的な証拠を頼りに、長年調査を続けるアメリカ人研究者がいます。アメリカニューヨーク州出身の文学研究者 Dylan McGeeディラン・ミギーさんです。

Dylan McGeeディラン・ミギーさん(人文学研究科 准教授)

名大で活躍する外国人研究者をよく知る国際広報室で「中日ドラゴンズが大好きで、話がおもしろい文学研究者」と話題になっていたミギーさん。国際広報室のエドさん、松下さんと一緒に訪ね、研究やドラゴンズのお話を伺ってきました。

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3歳で出会った日本文化は、魅力的な別世界

「僕のおじいちゃんとおばあちゃんが、明治時代の浮世絵みたいな版画を何枚か持っていたんですよね。東洋の柄の食器とかも持っていて。」

ミギーさんに日本文化と出会うきっかけをくれたおばあさんは、コロンビア大学の卒業生(当時は女性が大学に行くのも珍しかった時代)。大学を通じて日本人の友人が何人かいて、版画や食器を収集しやすかったそうです。本物だったのか、どのくらい価値があったのか、定かではないそうですが、幼いミギーさんにとってはとても魅力的な品々でした。

留学中に訪れた名古屋に惹かれ

アジアの文学を学ぶために大学院に進んだミギーさんは、博士課程の学生時代を金沢で過ごしました。初めて名古屋を訪れたのは2005年。街自体がきれいで、とても印象的だったといいます。実は金沢でも”名古屋”を感じていました。

「加賀百万石の前田利家も、出身は尾張藩だったんですよね。金沢には『尾張町』など尾張藩にちなんだ地名もあって、名古屋の歴史には興味を持っていました。」

留学後はアメリカに戻って博士号を取り、ニューヨーク州立大学で7年間勤務。もうすぐテニュア(終身雇用を保証する権利)を取れそうなタイミングで、名大のポストを見つけました。

「2010年の9月頃の面接を受けて、受かったんですよ。でもその後、大震災があって…。正直少し迷いもあったし、家族からの反対もありましたけど、どうしてもここで働きたくて。」

版元じゃなくて読者が知りたい

気持ちの葛藤の末、2011年5月、名大での研究をスタート。江戸時代の文学研究では、作者や出版社の視点で作品を研究することが多い中、ミギーさんは読者の視点で文学を考えることに興味を持ち始めました。

「作者や版元は調べれば大体わかるんです。でも、誰がどんな風に読んでいたかはわからないんですよね。食べながら読んでいたのか、タバコを吸いながら読んでいたのか、未知の世界ですよ。私はそちらに興味津々で、どんどんそちらの方向に行ったんですね。」

興味の赴くままに研究を進める中、目に止まったのが、貸本屋「大野屋惣八おおのやそうはち」、通称「大惣だいそう」です。江戸時代中期から明治時代までの約150年間、名古屋長嶋町ながしまちょう(現在の港区錦町)で営業していた商業的貸本屋です。閉業時の蔵書数は2万2千冊で、日本一の規模でした。

大惣の店構え
ミギーさんのお嬢さんが、資料として残る大惣の設計図から描き上げたそう!

情報が見つからない…ならば探偵小説方式で

さっそく大惣の調査に乗り出したものの、大惣の建物はもうありません(錦町5丁目のセブンイレブンになっているそう)。蔵書は古本屋や書物問屋を通して、全国各地に散らばってしまっていました。

「国会図書館、東京大学、京都大学、筑波大学…。全国を駆け回って、70%近くを調査しました。」

ところが「読者」についての直接の情報は見つかりません。この研究は諦めた方がいいという声もありました。でも、粘り強く調べていくうちに、探偵小説を読み進めるように少しずつ見えてきたといいます。例えば、当時の人々は借りた本に落書きを書き込むことがよくあったそうですが、何千ヶ所もの落書きのデータを集めていく中で…

「京都大学にある蔵書資料に、子どもが描いた馬の落書きがあったんです。同じ絵が、なんと筑波大学にある資料にも描かれていたんですよ。」

他にも、大惣のすぐ近くに住んでいた平出順益ひらでじゅんえきという人の読書ノートも見つかっています。彼が20年間で読んだ1000冊近くの本についての記述は、当時の読書文化を紐解く貴重な情報源となっているそうです。

大惣の店内
蔵書はどんどん増え、保管するための蔵が3つもありました

ファッション雑誌のさきがけ?
合巻ごうかん」にみる当時の識字率

「合巻」とは、本を何冊か合わせて分厚い1冊にしたもの。大惣では、この合巻に特に力を入れていたそうです。合巻には挿し絵が多く、物語の登場人物や彼らが着ているものなどが魅力的に描かれていて、特に女性に人気がありました。

ただ、合巻自体は漢字が多くて少し読みにくい読み物。「ファッション雑誌として見ていた方も多かったのでは?」とミギーさん。というのも、合巻には化粧品などの広告が貼られていて、こちらはかなが多めで読みやすいのです。広告主の大惣は、お客さんが漢字をそれほど読めないのを知っていて、易しめの広告を載せたのだろう、ミギーさんはこんな見方をしています。

実は、大惣にとって大事な客といえば40〜50代の女性。この傾向は19世紀に入ってから特に強く、広告もほとんどが女性向けだったそうです。一方、人口の7割が男性だった江戸では、貸本屋のお客さんの多くは男性、特に侍でした。寺子屋に通っていた彼らの識字率は高く、広告の文章も少し硬めです。比較することでわかる特徴もあるのですね。

こういった一つ一つの情報を、10年以上かけて調査してきたミギーさん。大惣についての研究は、もうすぐ本も出版されるところまで来ました。今後の研究では、戦後の貸本屋の読者について、インタビューの手法も取り入れながら探っていきたいとのことです。

名古屋に住むならやっぱり

さて話は、中日ドラゴンズの話題へ。ミギーさんのドラゴンズ知識はファンの域を越え、地元のラジオ番組に出演したこともあるほど!実は、ミギーさんのドラゴンズ好きには、理由がありました。

「私は、ヤンキースタジアムのすぐ近くに生まれ育ったんです。おばあちゃんがヤンキースファンで、若い頃よくヤンキースタジアムに通いました。あの応援文化がすごく好きで、どこかに住んだら地元のチームを応援した方がいいかなって。」

ニューヨーク・ヤンキースの大ファンでもあるミギーさん。ドラゴンズは、2軍球場で若手選手の成長を見るのがたまらないといいます。どんな選手についても選手図鑑のように詳しくご存知で、生粋の研究者気質をお持ちだなぁと、エドさん、松下さんと感心しっぱなしでした。

この記事を英訳してくれた国際広報室のエドさん(左)は、ミギーさん(右)の教え子です。

いつまでもお話を聞いていたいミギーさん、どうもありがとうございました!

(文:丸山恵)

◯関連リンク
Dylan McGee(研究者情報)
・論文
Book Refurbishment Practices of the Daisō Lending Library
Reader Graffiti in the Daisō Rental Books|大惣本の落書.

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