398 実験としての小説の投稿①

「これは同棲じゃない! 同居です!」第1話

 面倒くさい。
 二日と空けない友人からの電話をシャットアウトしながら、大島要《おおしまかなめ》は思う。
 今時珍しい、二部屋プラスキッチンなアパートの一室。決して広くはない部屋、万年床の上で。要は本日五十一回目の寝返りを打った。

 最初は休息を取っただけのはずだった。しかし、いつしか全てが面倒になった。掃除、洗濯、炊事。全てサボってしまっている。時計の針は、まだ午前の十時だった。外出も、すっかりしていない。

「面倒だ……」

 ゴミやモノに埋め尽くされた居間を見ながら、唸り声を上げる。が、行動を起こすきっかけにはならない。

「そういえば食器も積み上がって……。いいか。どうせ寝てるだけだ」

 ボサボサに伸びた髪も、台所に積まれた食器も。要の踏ん切りにはならず。目を背けるように寝返りを打つ。これで五十二回目である。

しかし。

 怠惰に安らぐ要の耳に、突如古典的なインターホンの音が鳴り響いた。

「……。どうせ新聞の勧誘だろ」

 要は、一瞬で『対応する』選択肢を放り捨てた。しつこい勧誘に付き合うよりは、寝ている方が、時間の有効活用だ。
 しかしベルは鳴り止まない。むしろ十回目を越えた辺りから、次第に間隔が短くなっていく。

「これはまずい、近所迷惑でヤバい」

 ここで要は決意した。必ず迷惑な奴を追い返し、もう一度寝直してやると。
 手近なズボンをトランクスの上に履き、ボサボサの髪を手櫛で整え、ドアスコープを覗き見る。視線の先には、予想外の人物がいた。

 美しいロングヘアー。白いワンピース。端正な顔立ち。スコープにわずかに届かない背の低さ。その女性には、確かに心当たりがあった。

「雫《しずく》ちゃん……。だと……」

 小さく声を漏らし、慌ててドアに背を付ける。必死に考える。鳴り続けるベル。汚い部屋。待ち構えている少女。結論は。

「ええい、どうにでもなってくれ!」

 ヤケクソ半分で鍵を開け、要は少女と対面する。たちまち抱き付かれ、押し倒された。 
 たわわに実った大きな胸が、要の腹部に。すっかり女性らしくなった従姉妹の顔が、要の胸板に。密着レベルですり寄っていた。なにより、互いの下半身が近い。

 しかし要に、現状へ気を配る余裕はなく。

「……久し振り」

 とだけ言葉を吐く。しかし少女は。

「……要兄《ようにい》、臭いよ?」

 一撃必殺で要を成敗した。そのまま少女は顔を上げて。

「部屋も汚いじゃない。どうしたの?」

 じとり、と要に目を合わせる。要の背中に冷や汗が流れた。理由はある。あるが、言うと嫌われそうだった。しばしの間、見つめ合う形になる。二年と会っていなかったはずの少女は、すっかり女性らしくなっていた。

「……まあ、詳しい話は後にしよっか。それより」

 目線が切られて、要は胸をなでおろす。しかし次の瞬間。

「んなっ!?」

 雫のしなやかな両手が、要のシャツの中へ飛び込んで。そのまま脇の下。両手を高く、差し上げる形にされて。そのまま首元から、手のひらが飛び出した。

「まず私は洗濯をするから。要兄はシャワーを浴びたら、お風呂を掃除してね。その間に、まだ着られそうな服を探しておくから」

 要の細身な上半身があらわにされるが、雫はそれには動じない。ざっくりと方針を告げると、要の上着を持ったまま。万年床が残る居間へと向かっていった。

 要はなにも言い返せぬまま、風呂に入ることになる。お湯を溜めるのは手間が掛かるので、シャワーを浴びる事にした。蛇口をひねると、数日ぶりに身体へ水がかかる。ひんやりとした感覚が、妙に心地よい。

「まさかね……」

 徐々に熱くなっていく湯を浴びながら、要は思考する。同時に石鹸で身体を清めていく。ぐるぐるしていた思考が削ぎ落とされ、クリアになっていく。

「確かに妹分のような存在で、叔母さんも俺を買ってはくれていたが……」
 昔のことを思い出す。いとこ同士で家族ぐるみの付き合いがあった二人は、これまでに何度も顔を合わせていた。たしかによく懐かれていた。が。

「まさかこんなことになるとは……。出たら確認するか」

 水を止め、浴室から身体を出そうとして。気付く。

「はい。まだ着られる服とタオル見つけたから、それを着たら掃除しよっか」

 話の前に、部屋の清掃が必要だった。

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 既に日は暮れ、部屋には電気が点いていた。あれだけ雑然としていたはずの部屋は跡形もなく片付けられ、積み上げられた食器類も消え失せていた。

「うん。今日は取り敢えずこんなところね。エプロン持って来て良かった」
「も、もうやらないぞ……」

 満足気に頷く少女。ようやく姿を見せた床に、うつ伏せ状態の要。しかし要は、その姿のまま。問答を仕掛けた。

「……雫ちゃん、今年で進学じゃなかったっけ?」
「行かない」
「へ?」

 あっけらかんとした返事に、要はわずかに身を起こし、尋ねるが。

「だから、高校は行かない。つまらなさそうだったから、受験だけしてやめちゃった」
「……オーウ」

 あんまりな追撃。要は体を起こし、肩をすくめた。だが、ふざけてばかりではいられない。改めて雫に問いかける。

「……叔母さんは? こっちへ来ていいって言ったのかい?」
「要兄。知ってるでしょ? あの家は十五歳から自己責任だって。要兄が物凄く信頼されてるって。要兄の所へ行くって言ったら、二つ返事だったよ?」
「……ソウデスカ」

 人差し指を頬に当て、小首をかしげる雫。その仕草に、要は改めて頭を抱えた。確かに信頼されていたのは事実だ。

「雫の嫁ぎ先は、要君の所で良いわね」

 雫の家族が、冗談混じりにこう言っていたことも覚えている。しかし、真実になるとは。それも、よりにもよってこんな最悪な時期に。

 ゴクリと、喉が鳴る。答えが分かっていようと、問わねばならない時がある。要にとっては、それが今だった。

「……で、今後はどうするんだ」

 雫の眼を覗き込む要。だが、真っ直ぐに見返して。雫は言った。

「一緒に暮らそ?」
「……」

 やはり。真っ直ぐな問い掛けに、要は次の言葉をためらって。

「なんで、答えてくれないの? 私、要兄のこと。大好きだから。なんにも問題ないよ?」

 その間に、雫の顔が迫る。頬が膨らんでいる。視線をそらせば、追いかけられて。

「明日の朝、叔母さんに連絡する。それからだよ、話は。今日は泊まっていいから」

 それでも要は、強引に振り切った。やることの、順番が違う。

「はーい……」

 要の淡々とした言葉に、雫のふてくされた声が帰ってきた。一応は聞いてくれるらしい。ホッとした、次の瞬間。

 グゥーキュルル……。

 腹の虫が聞こえた。雫が、耳まで真っ赤にしてうつむいている。そういえば、昼食すら食べていなかった。要も、自分の空腹に気がつく。だが。

「……今から支度するとよけいに遅くなるな」
「うん……。要兄。外行こ?」
「え……。あ、ちょ。分かった、分かったから服を脱がそうとしないで!?」

 付かない踏ん切りは、強引に押し切られて。つまり、そういうことになった。

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 大島要は、両親に感謝していた。かつて押し付けられた乾燥機が、役に立つ時が来るなんて。
 つい数時間前まで、要は全てを放棄していた。髪はボサボサで、服もよれよれだった。
 しかし、雫がやって来て。一気に洗濯されて。一応、外に出られるだけの格好にはなった。

「ご飯、ご飯」
「テンション上がってるねえ」

 アパートにほど近いファミレス。時計は既に二十一時を回っていて、静かな空気になっていた。一時間前なら、こうはいかなかっただろう。

「えへへ……。ありがとっ」

 雫は、妙に上機嫌だった。許されれば、ダンスでも始めそうである。

 要は、訝しみつつもメニューを手に取った。そのまま対面の雫に渡し、先に選んでもらうことにする。雫はメニューに目を通しながら、要に向けて目を細める。

「要兄とのデート、だし?」
「っ!?」

 小悪魔のような微笑みと、思わぬ一撃。要は素早く辺りを見回す。だが、誰もが食事や会話に夢中だった。

「人目があるから、その、ほどほどで……」
「はーい」

 心臓がうるさく弾む。顔が赤くなり、うつむいて隠してしまう。答える声が明るい辺り、ささやかな抵抗も無に終わりそうだった。

「……注文、決まった?」
「うん。サラダとミートソース」
「じゃ、ボタン押すね」

 メニューを受け取り、ボタンを押す。メニューを開く。好物のハンバーグを中心に、セットを選択。ほんの数十秒で、注文が決まった。

 やり取りが終わり、待ち続ける間。要は自分から口を開こうとしなかった。雫は何度か会話を始めようとしたが、要は無視に徹した。雫もやがて、頬を膨らませながら黙りこくった。
 注文が来てしまえば、後はルーティーンだった。ひたすらに食事に徹し、自分のペースで平らげていく。雫の攻撃が、怖かった。

 しかし終盤。要がハンバーグセットを食べ終え、水を飲み干したところで。事件は起きた。

「……ちょっと多かったかなー?」

 残り少ないスパゲッティをフォークで巻き取りながら、雫がぼやいた。

「サラダが多かったのかもね」

 要もぼんやりと言葉を返す。背もたれに身体を預け、リラックス。完全に気が緩んでいた。食事を終え、外出もつつがなく終われそうで。ありていに言えば、安心していた。故に。

「かもね……。うん、要兄、食べて? ほら、あーん」

 差し出されるフォークの威力は、とんでもないものになった。

「いや、フォークごとこっちに……」
「ダメ。あーん、して?」

 更に突き出されるフォーク。身を乗り出されたせいで、大きな胸がテーブルに乗って。絵面が危険で、周囲を見渡す。店内は静かで、店員も歩いていない。見られていない。心臓を落ち着けるために、深呼吸をして。

 この場を凌ぐためだと言い聞かせて、顔をフォークへ。雫の満面の笑みが目に入る。色々と踏み外しそうな笑顔だった。

「はい、どーぞっ」

 弾んだ声が耳に通り、雫のフォークが口内へ。
 要は条件反射で口を閉じ、スパゲッティを引き抜いた。味を感じる余裕もなかった。なのに。

「……間接キッス、どお? 美味しかった?」

 安心することは、許されなかった。雫からの追い討ちが、要に表面上の行為よりも。深い現実を突きつけて。雫の笑顔が、要の心にチクリと刺さって。

「……ご馳走様でした」
 
 要は、頭を下げる他なかった。

 アパートへの帰り道、雫は終始上機嫌だった。月を見上げながら、要よりも先を歩いて行く。

「よーにー? 私が先導してたらどっか行っちゃうよー?」

 後ろを向いた雫が、天女のように。要に向かって微笑みかける。

「それは困る」

 雫を追って、要はスピードを上げる。不思議とそこに、不快感はなく。

 上手く連れ出されたなとは思いつつ。こうならなければ、いつまで家で寝ていたのかと思いつつ。心の中で、雫に頭を下げた。

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