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夏来たり 深く恥じ入る 己の愚

最近、文章が出ない。うっかりキリの良いところで現行作品を区切ってしまった。その結果、次回への行動欲が。新作への欲望に負ける事態となってしまった。おまけに、その新作も右往左往している始末だ。

形にはできる、アイデアは出る。だが、自分で見ていて面白いのかがわからない。これは重症だ。何をどうしたら面白いのか。それが分からなくなっている。

これが起きると最悪である。エネルギーの空回りだ。アクセルを吹かしているのに、ブレーキも掛けている。そんな状態である。たぶん今俺は。『力強い形』を手に入れたがっているのだ。

バズ……。いいね……。星……。PV……。そういったものにとらわれて、自由な発想をウケるウケないの枠にはめ込んで潰す。きっとそれが始まっている。由々しきことだ。


……。と、まあ。書き出すという行為は非常に良い。自分の中でもつれた糸を整理できる。メモが苦手な俺であるが、それでもこうして毎日のアウトプットが果たしている役割は大きい。

この4ヶ月、恐らく読書量は僅かながら増えつつある。いくつかの考え方と出会うことで、以前よりも明確にできた思考は多い。だからこそ。飽き性な俺でも約130日も書き続けられているのだろう。よくやってるよ、自分。

と、まとめにかかろうとしたところで天啓が降りました。

『図太くなくても自分の力でお金を得たい』。これは数日前に下記の記事でぶち上げた目標で。

その向こうには、『図太くなくても、才能が少なくても。自分でお金を作れる世界を作りたい』という大きいのか小さいのかわからない野望を隠し持っている。自分がまたできていないから。責任面から伏せていただけだ。

俺は、その手段に創作を使おうとしていた。今の自分で、一番なんとかなる、と思っていたからだ。自分の中に渦巻く空想を放つ。それに一番適した形だと思っていたからだ。

でも、それだけじゃ足りなかった。だって、よく考えたら俺自分本位の人だもん。だから、どうしても読み手が見えていないことが多い。そりゃあ、独りよがりに勝手にもがくわなあ……。

ましてや『モノを売る』ってのは。買い手を動かさないといけないのに。自分だけ見ていた。文章を売るってことは。読み手=買い手。買い手の気持ちを動かさなければ、購入カウンターは動かない。

創作とは妄想だ。創作とはエゴの塊だ。それを噛み砕き、分かりやすくして。読まれるようにしなければ。そもそも立ち読みすらされないではないか。なぜそんなことを今まで見失っていたのか?

noteが読まれて、調子に乗っていたのだろう。自分の力を、高く見積もり始めていたのだろう。だから、『形にならない』とか考え始めていたのだと思う。まだそこまでの能力がないのに。

バカだな。書き散らかして。読み散らかして。ようやく思い出した。独りよがりの文章を読ませて、ごめんなさい。そうとしか言いようがない。今日の文章も思考過程の独りよがりだ。申し訳ない。

だから、この数日の文章に記した通り。それを抱えて。少しでも通じるようにしながら書いていこう。天啓が降りてきてくれて、本当に良かった。意固地になる前に、目覚められたのだから。

よかった。

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