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柿食えば ヌチグスイ㉒

台所の窓から外を眺めると、今はシオンの薄紫の花が秋風にそよいでいる。その奥にひょろりと柿の木が1本立っている。父が酷暑の夏の間中、紅く熟れるのを心待ちにしていた渋柿だ。その実が5年ぶりに二つ実った。

ここしばらくは、実がついても小さなうちにポトンと落ちて、まったく実らなかった。渋柿なのに、熟柿になると何とも言えない素直な甘みがあると父は熱心に褒めちぎって、今年は食べられるかと嬉しそうに話していた。

夏の真っ盛り、5個の青柿は細っこい枝先で葉っぱの間に見え隠れして風に揺れていた。柿の木に詳しい叔父は、「ヘタ虫という害虫がいて、早くから実を落としてしまうし、農薬をかけていないと難しいね。」とわたくしに教えてくれた。

今年もダメかもしれないけれど、あんなに楽しみにしている父に食べさせてあげたいなとわたくしは願っていた。大方の予想に反して、柿の実たちは人間たちが暑さでへたばっている中も、順調に大きく育ち、一番てっぺんにあった柿の実は父の入院中の八月下旬に徐々に赤く色づき始めた。

「退院の時に採って食べさせたら、どんなに喜ぶだろうか?」などとのんきに考えていたわたくしは、九月一日早朝に父が身罷ったと連絡が入った時、何が起こったか直ちには了解できなかった。父に付き添って病院から葬祭場に搬送した後、これからの準備をするためにひとまず自宅に戻った。到着した途端、激しい雨風がひとしきり続いたあと、ふと台所の窓から柿の木を見ると、熟れてきていた例の柿の実だけが姿を消していた。きっとさっきの通り雨に叩き落されたんだろう、拾いに行こうかと考えたが、「落ちてつぶれていたら、どうしようもない。」と思い直し、探すことをあきらめて具合の良くない母のこともあったせいで、通夜の手配を優先した。たまたま自宅に立ち寄った妹や姪っ子も、柿の実を探しに行こうかと言ってくれたけれど、父が柿の実を食べに帰ったのだと思うことにした

葬儀も終えて、七日参りを行ううちに、残った4個の柿の実も色づき始め、きれいな色になったと思ったら、目ざとい烏が、二個かすめ取っていった。残った二つはまだ少し早いかなと思いながら、収穫して見栄えの良い方を仏前に供えた。「お父さんが言ってたとおり、立派な柿の実だね。」と話しかけた。お供えしているうちに、追熟し、美味しそうな熟柿になった。面白いことに供えた柿は早く熟し、大きな実を最初は母とわたくしで、分け合い、次に供えた二番手の熟柿は妹とその娘がおさがりを頂いた。「どうだ、うまいだろう?」そんな得意げな父の声が聴こえた気がした。三十五日の法要の日だった。

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つくづく不思議だなと思うのは、残暑厳しい九月一日に実が落ちたこと、そのあとも10月に入るまでに熟柿ができたことだ。家の周りにあるよそ様の柿の木にはまだ青く硬い小さめの実だけなのに。父が柿の木をせかして追熟させたのではないかとさえ疑う、わたくしである。

さて、例によって、ヌチグスイ。柿もまたいのちを養う、大変有用な果実である。その実が美味しく栄養価も高いのは、周知の事実。

さらに、柿渋は、日本人の暮らしに役立つ優秀な生活素材であった。

柿の名産地奈良県では、柿の葉寿司なるものが有名である。以前旅した丹生川上神社の参拝旅でいただいた、紅葉したカラフルな柿の葉寿司が美味しく珍しかったのが懐かしく思い出される。

渋柿を干し柿でいただくのも楽しいけれど、これから甘柿もたくさん出回る季節がやってくる。例年、知人が手作りしてくれる柿チップスがわたくしの好物である。お菓子のグミのような歯ごたえと自然な甘みが魅力なので、お茶うけにピッタリだ。甘がきをたくさん入手されたら、どうぞ挑戦してほしい。冷凍保存も利く。

ところで、柿の木にまつわるお話と言えば、「二十四の瞳」で有名な壺井栄のこの作品を懐かしく思い出す。柿の木とそれを大切にする或る家族の和やかな物語。温かな普通の暮らしに柿が添える小さな幸せの尊さを感じたことだ。

父にまつわるアレコレを、四十九日を目前につらつらと思い出しながら、段々と自分の心も整えるなか、柿食えば父を懐かしむことができるようになった自分を見つける、神無月。漸く、近所の柿の木たちも赤く熟れる実をたわわに結び始めた。

そうして、此処に書き記すために検索をかけて新しく知った、柿の諺は、まるでわたくしに呼びかけているような、あまりにもドンピシャすぎて、少し苦笑してしまうものだ。「人間はいつか必ず死ぬのだから、弔う者も弔われる者も大差ないというたとえ。まだ青い柿が、熟して地面に落ちた柿を弔うが、青柿もやがては熟柿になることから」きたという、青柿が熟柿弔う。やがてわたくしにも訪れる最期の時に、この諺が実感として迫ってくるのだろうか?まだまだ熟すのには及ばないわたくしには、ただただ想像をたくましくするほかないのだけれど。柿のように渋みも甘みに変える成熟を目指して、これから進んで行ければとただ思うのだ。

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最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。



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