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謝りたいって自己中だよね



{2023.02.14の記事}

最近のネタ、重いのばっかりですかね?

分かりませんが、今日も結構切り込んでいくので、
『あ、この話辛いな。』って感じたら、即そっ閉じでお願いしますね!

必要な方に届くと信じてますので、私は書きますよ!

 


勿論、私個人の感覚ですが、

他人のことを深く深く傷付けておいて
「謝りたい。」って言い出し、
被害者側の[謝罪を受け入れても良い]というサインが一切無いのに、
勝手に謝り出す人って、
他人の気持ち考えられてないよね!

と、思うんですよ。


謝りたがる人って
{自分の不注意、自分の過ち、を認められない}
っていう心の歪みを持ってて、

それでも
『完全に自分が悪かった。』
っていうことも心のどこかで理解してて、
●『自分の不注意、自分の過ち、を認めたくない!』っていう、強い気持ちと、
●『凄く申し訳ないことをしてしまった…。』っていう、強い贖罪の念耐えきれなさ過ぎて(自分の中で抱えていられなくて)、

〖謝ってしまえば、この辛い、苦しい感覚から逃れられる〗

っていう

打算から謝ってるだけ

なんですよね…。


『自分の不注意、自分の過ち、を認めたくない!』
『完全に自分が悪かった。』
『謝ってしまえば、この辛い、苦しい感覚から逃れられる。』
これらの思考は無自覚である場合が多く、
顕在意識的には
『謝るという行為は、相手のため。』
って本気で考えてる
から、

『タチ悪いな!』と、私は思います。


何が嫌って、私が被害を受けたときに、相手のこれらの打算をまるっと全て感じてしまうところです。

私は[心が傷付いてボロボロの状態]な所に
『いや、加害者、罪の意識背負う気無いやないかーい!』って部分がスッと判ってしまうことと、
『まぁ、コイツには背負えんやろな…。』ってことも一瞬で判ってしまうことで、ゲンナリ感を上塗りされるのが堪らなく嫌でした。


『今後の人生ではこういう人たちとはサヨナラできる!』って、信じて生きてます!


{自分の不注意、自分の過ち、を認められない}
のは、幼少期に怒られた経験などを元に
■ダメな自分を許せない
■ダメな自分を認められない
という強過ぎる観念が備わってる場合が多いです。

【プライドが高い人】
という風に見られることも多いですが、
【ダメな自分を認めることが怖くて仕方ない人】
である場合がほとんどです。

なので、こういう人に出会ってしまったとしても、
『あぁ、可哀想な人なんだな…。』っていう目で見て、しれーっと相手にしないのが吉です。


『完全に自分が悪かった…。』って判っていても、その
[罪の意識と真っ向から向き合える程のメンタルが無い人]
というのは、結局
[自分の人生・選択に責任を持つ勇気が無い人]
だったりするので、とにかく言い訳ばかり言う人が多いです。

謝るときも、言い訳を交えて謝罪の言葉を述べるので
『ホンマに謝る気あるんかよ…。』と、いう気分にさせられますが、断言します。

謝る気なんてありません。



こういう人には、いくら
「あなたのこういう行動が良くなかったんだよ…」と、懇切丁寧に諭したとしても、心の深い部分には届きませんので、
黙~って放っておくのが吉です。


〖謝ってしまえば、この辛い、苦しい感覚から逃れられる〗
と、いう打算的な考え方をしている自覚が無い場合も多いです。

『謝るという行為は、相手のため。』という意識しかない場合がほとんどなので、
『このタイミングで謝るのは、相手に失礼だよ!』ということが一切理解できません


「相手のためだよ!」
「これは善意だよ!」
『と、いう体で、辛い気持ちから逃~げよっ☆ミ』


ちゃっかり考えている癖に、本人はそこまで頭を働かせている自覚すらありません

『自分はとても反省したから、相手のために早く謝ってあげないと!』と、考えがちで、止まりません。


第三者から見たときに
『今このタイミングで被害者に会わせるのは本気でマズいぞ…。』と、いうタイミングがあれば、
「じゃあ、その気持ちを手紙にしたためなよ、(折を見て)渡すから…。」
などと
①テキトーに話を合わせつつ、
②加害者の贖罪の念を(被害者に見えない所で)吐き出させつつ
③被害者には絶対に会わせない
という対策を取るようにすれば、二次被害、三次被害は防げる可能性があります。

まぁ、暴走列車は止まらないことの方が多いかもしれませんがね。


「こんなヤツ、いる訳ないじゃん笑」
と、思った方いらっしゃいます?

現実に存在してます。

「そんな人、出会ったことないよ~!」
と、いう方々は、ご自身の幸せをそっと噛み締めてください。


大なり小なり、多くの人が
★ダメな自分を許せない
★自分の選択に責任を持てない
★贖罪の念を受け止めきれない
という性質は持ってると思います。

子供から大人へと育つ中で、
★自分の選択に責任を持つこと
★贖罪の念を受け止めること
これらの心の器を広げていき、大人になってから
★ダメな自分も許そう
と、更に器を広げていけることが望ましいはずなのですが…

★ダメな自分を許す
★贖罪の念を受け止める
★自分の選択に責任を持つ
のが
『めちゃくちゃ怖い!』と感じている人たちが、自分の心の課題を乗り越えず、心に抱えたまま野放しになっていると、周りの人が被害を被る事態になります。


[誰しもが心の器を広げながら生きていくのが自然の流れ]と、いう中で、[器を広げずにずっと逃げ回っている人]というのは【極度のチキン】ということです。

【極度のチキン】だと判っていれば、
[謝る気の更々無い謝罪]を受ける羽目になってしまったとしても、少しは許せる、大目に見れるのではないでしょうか。

1㍉だけ…とかね


私も
★ダメな自分を許せない
の意識は強かった方なので、これに関してはまだ、気持ちが理解出来るんです。

ですが、
★自分の選択に責任を持てない
★贖罪の念を受け止めきれない
が、まっっったく理解できないのです。

自分の選択に責任を持てない人は、すぐ人のせいにしたり、行動する前に必ず"相談"という体で他人に意見を求め
「だって○○さんがこう言ったから…。」
という逃げ道を確保したりと、グジュグジュグジュグジュ…

「当たって砕けろー!」
な、私にとっては
『逆に面倒臭くないんかな…?』と不思議だったりします。


『あー…自分は人を傷付けてしまったな…。』と、深く落ち込んでしまったとしても、
『次、誰かを傷付けないための教訓を得た。』と、立ち直れるんじゃないかと思うんですよね。

あまり分かりませんが…。


[謝罪とは何なのか]という部分について、自分なりの意見をしっかり持てる人が増えることで、謝罪にまつわるトラブルは減らせる流れが生まれます。

人から嫌なことをされたら、
『加害者側に謝罪されたい。』と思いますか?

皆様も1度考えてみてくださいね。


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