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PASSION 世界一高いグラウンドで。

世界一高いグラウンド、白球を追う笑顔が広がっていた

 11月7日、コンドルチームのソフトボールの試合が行われる日だった。ホテル・一番のロビーに11時過ぎ、広見さんがユニフォームを着て現れた。目の下には反射防止のペイントもして準備万端。
 広見さんのワゴンに乗せてもらった。コロニア・オキナワからやって来た日系人男性も乗り、途中で5人ほどをピックアップする。日系人もボリビア人も混じっている。挨拶はハグしてハイタッチ。


 カラコト地区を過ぎ、「月の谷」と呼ばれるゴツゴツとした岩肌が広がる辺りを過ぎたところでワゴンは止まった。数人が石灰を使って白線を引いている。グラウンドとはいえ、単なる空き地のような場所で何もない。ラパスの地面は固いため、ボールは高く弾んでしまう。グラウンドの周りは深い谷。ホームランを打ったとしたら、喜びのボールは谷底に落ちてしまうことだろう。
 白線を引くために石灰を撒く作業は直に手で行っていた。機械なんてない。手を白く染めながら、丁寧に白線を作っていたのは、ボリビア野球連盟会長のハビエル・ペニャーランダさんだった。
ラパス中心部からやや標高は下がるものの、このグラウンドは約3350mに位置しているという。おそらく世界一高い場所にあるグラウンドだ。

 試合が始まった。
 「行くぞーコンドル!!」
 「Muy Bien!!」(いいぞ)
 「ドンマイ!」
 日本語、スペイン語が混じった激が飛ぶ。車からラテンミュージックがBGMで聞こえてくる。グラウンドに面する道路の脇を馬に乗った人が通り過ぎていく。穏やかな昼下がり。
 「次、早い球が来るから」
 広見さんはコンドルチームのキャプテンであり、責任者でもある。時間があれば野球の研究を怠らず、人一倍大きな声も出しながら試合には全力でプレーする。そんな“熱さ”はしっかりと伝わってきた。ベンチもないグラウンドなのに、グローブやバット、ヘルメットはきちんと整えられて置かれている。


 あとから遅れてやってきたのが数日前に出会った音楽家の秋元さんだ。
 「俺、音楽より野球のほうが好きなんだよ」
 ユニフォームに着替えると、すぐに仲間のもとへ駆けていった。
野球をやっているところ、そこにはいつも笑顔がある。仲間に会える週末を、彼らはいつも待ち遠しくしているのだろう。
  
 コンドルチームの試合が終わると、私は秋元さんらと乗合バスに乗ってセントロへ戻った。遅い昼食をとったあと、日本人会館に向かった。宮本和寿さん(71)に話を聞くためである。

 ラパスで金物屋を営む宮本さんは、戦時中の1938年、フィリピンで生まれた。家族とともに日本に帰国したのち、1957年に実習生としてラパスに入り移住した。
 この地で野球が盛んだったのは、時代背景があるからだと宮本さんは話す。スポーツや娯楽を通じて日系人の団結を図っていた。
 野球とはどういうものかを、野球を知らない人に知ってもらうために、サッカーの試合の前に、野球のデモストレーションをやったこともあったという。
 「野球はルールが難しいし、費用もかかるからね。誰かが自腹をきって、プレーしたあとには食事をごちそうするくらいの人がいないとダメだよね。最近、腹割る人が少なくなってきた。便利さの追求で人間味が薄れ、汗を流して感激する機会がなくなってきていることが気になっている。私はね、日系人のことを“滅びゆく少数民族“と呼んでいるけど、移住したてのころは『金より意欲、やる気だぞ』と言われてきた。日の丸を背負っていると思って行動しろと。日本人は正直者、勤勉、人を裏切らない。これらは後輩に継いでいかないといけないよね」
 宮本さんの話は幅が広い。野球の話から、政治、経済にまで発展していった。日本はもちろん、ボリビアのニュースに耳を利かせ、常に自分の意見を持って生きている。
 宮本さんは厳しい人だと南雲さんから聞いていたため、私は少し緊張していたのだが、気づけば3時間もしゃべっていた。日本食レストラン・けんちゃんで、私はもやしラーメンをごちそうになった。

 ボリビア・第二の都市、サンタクルスへ向かう旅へと続く。

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