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愛すべき人の弱さ

たまたま書店に立ち寄ったら、横山秀夫さんの新刊が出ていることを知って、「新刊出てるなら早く言ってよ〜」とかいう訳の分からないことを呟きながら『ノースライト』をワクワクしながら手に取った。

横山秀夫さんファンで、彼の小説は全て読んでいる(はず)。
周りの一部の人には横山秀夫好きを語っているけれど、私が横山秀夫作品を語るなんて恐れ多い、という気持ちが強くて「なぜ好きなのか」「作品をどう思ったのか」については語ったことがなかった。とにかく横山秀夫さんの作品はなんでも好きで、その「好き」に理由なんてなかった、の方がもしかしたら強いかもしれない。

でも、昨日ノースライトを読んだら、どうしても何か書きたくなってしまった。
本当に恐れ多いので、おっかなびっくりnoteを書いてます。
ちなみにネタバレはなし。

今までの横山さんの小説を読んできて、そして今回このノースライトを読んで、横山さんの作品にここまで惹かれる理由がすこ〜しだけ言語化できた気がするので、それをそのまま書きます。短いし要領を得ない文章になってしまったけど、どうにも綺麗な文章に収まらないので、もうそのまま出します。


毎回(横山さんの小説を読んでいると「連載」であったことを強く感じるので「回」と呼んでみる)の終わりに、想像だにしなかった驚きがあって、早く次を読みたくなる、その一方で楽しみすぎてまだ読みたくない、明日にとっておきたい、そんな気持ちも湧いてきて、一旦本を閉じて一息ついてみる。でもやっぱり先がどうしても気になるので、数秒後にはまた頁を開いて読み進めてしまう。
この感覚が唯一無二で、楽しい。なんだかフワフワした感覚になる。

独特の「暗さ」も持っている。
横山さんの作品は一様に暗いし重い。人の「醜さ」を多分に描いている。
ただ、表現が難しいんだけど、ここにある「暗さ」は私たちが皆自分の中に抱えているもので、既にその存在は認識しているものの共存していくしかないことがわかっているので苦々しさと諦観を込めた静かな笑いを持って遠目に観察しているものだし、
完璧ではいられない、「人間性」に繋がる暗さ、のようなものなんじゃないかな、と感じる。
その暗さ、淀みのようなものは人によって違うので、共感できる、とも違うんだけど、でもなんだかわかってしまう、自分にもそんなようなところがある、
そんな人の“愛しい”弱さが描かれているように感じる。

人はみんな弱い。その弱さ故に、醜い部分を持ってる。
でも弱いのは、優しいから。誰かを想う正義があるから。

最近聞いた「人間、捨てたもんじゃない」というフレーズが、ノースライトを読んでさらに心にしみた。
北から差し込む穏やかなノースライトは、人の優しさを表すと同時に、弱さや醜さを抱える人間を優しく包み込んでくれている気がした。


本筋とはあまり関係ないのだけど、心に突き刺さった2つのフレーズをここに置いておきます。

人の「内面世界」

「どこにでもあるが、ここにしかない家族の今」

なぜかはわからないけど、ズドーン、と心に響く。文章の端端にまで横山秀夫さんのすごさを感じて、好きだあ…ってなってしまう。好きだあ…

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