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エッセイ「一瞬の声」

 息子が5歳のとき、カメを飼いたいと言ってきた。うちで生き物など飼ったことがないし、息子がどこまで世話できるのか不安はあったが、どうしても欲しいと言うので、近所のホームセンターのペットコーナーへ見に行った。水槽の中には、手のひらに乗るぐらいのミドリガメが数匹いて、これぐらいの小ささなら飼えるかと思い、購入することにした。息子は早くも喜々として、どれにしようかと品定めをしている。エサと水槽の底に敷く砂利も買って帰った。
 家にあったプラスチックの水槽に砂利を入れ、水を少し張って、きょうからここの主になるミドリガメを入れてやる。エサを投げ入れると、カメは小さいながらも力強く水槽の角をよじ登らんばかりに手足をばたばたさせる。キッキッとプラスチックを引っかく音の大きさで、その必死さがわかる。勢いがよすぎて、時々甲羅を下に逆さまにひっくり返り、ユニークな姿を見せてくれる。そんな様子を見るのがおもしろいのか、息子もきっちりと1日3回エサをやっていた。帰省するときも水槽を車に積んで、一緒に行動していた。「おばあちゃんにもやらせて」と、おばあちゃんもおもしろがって、カメに向かってエサをほうっていた。やっぱりカメは同じように手足をばたばたさせる。
 息子は、私が何も言わなくても、1週間に1度は水槽を風呂場に運び、カメの甲羅や砂利を洗っていた。カメの世話は息子に任せようと思い、私はほとんどかかわらなかった。

 ある日の夕方、夕食の準備をしていたとき、息子が喜色満面で公園から帰ってきた。そして、「ほらっ」と右手を私の目の前に突き出した。そのグーに握られた手には、にょろにょろとうねっている2匹の長い太ミミズがいた。それを見た瞬間、ギャーと叫びたかった。「何それ、近寄らんといて」と思った。そんな気持ち悪いものをよく触っているなあと、本当にびっくりした。しかし、私はここで理想の母を演じなければならない。せっかく息子がカメのエサにしようと思って拾ってきた太ミミズだ。怖がってはいけない、私が怖がったら息子がかわいそうだと、ギャーと出かかった声を懸命に抑えた。ここで声を出して怖がったら、息子を傷つける、母親失格だ。二度とカメの世話をしなくなったら困る。「よう取ってきたね」と褒めるべきだ。これだけのことが即座に頭をよぎった。きっと目の下のあたりがぴくぴくしていただろう。顔が引きつって、口元もこわばっているが、笑顔を作らなければと鼓舞しているのが自分でわかった。
 そのとき息子が何か言ったかどうか、覚えていない。それまで、カメはミミズを食べるとか、そんな話はしたことがない。息子は誰かに聞いたのか、何かを見たのか、どうして知っていたのか、ちゃんと聞けばよかった。太ミミズをさっさと水槽に持っていき、カメに与えたようだ。その現場を見ていないので、カメがどうやって太ミミズを食べたのか、いや食べていないのか、知らない。夕食が終わってから水槽をのぞいたときには、太ミミズの跡形はなかった。

 息子が小学校へ通うようになると、息子のカメへの興味もだんだん薄らいできて、水槽を洗う間隔も延びていった。手のひらに乗るほどのカメは、だんだん大きく重くなり、水槽を引っかく音にも迫力を感じるようになった。息子が高学年になると、水槽の汚れ方もひどくなってきたが、カメはただおとなしく、そこにいた。
 家で飼うカメは一体何年生きるのだろう。片手でつかんで持ち上げるのも力が要るほどカメは大きくなっていた。そんな夏休みの夕暮れ、息子の部屋のほうのベランダから、風もないのにただならぬ強烈な臭いが漂ってきた。今までかいだことのないような、食べ物が腐ったような臭いである。蒸し暑さも相まって、家の中は最悪な環境だ。息子はぽつんと「カメ、死んだみたい」と言ってきた。慌てて見にいくと、やっぱりじっと動かないカメが水槽に横たわっていた。
 その日の夜、カメの死骸は近所の原っぱの木のそばに埋めた。そのとき息子は、寂しさを我慢して強がっていたのか、やれやれと安堵していたのか、黙っていて、表情がよくわからなかった。私も何も話さなかった。

 今、家族みんなが社会人となり、あのカメの話題を口にすることはない。家族の間での会話は、「あしたの晩御飯いらん」とか、必要最小限の事務連絡になっている。息子が五歳のころに戻って、太ミミズを見てギャーと大声を出すところからやり直したい気持ちだ。物わかりのいい母親なんて別にどうでもよくて、飾らない私をぶつければよかった。息子が小さいときから、肩肘張らず、ありのままの自分を出して息子と付き合えばよかった。そのほうがずっと楽しかっただろう。ギャーという一声を愉快に思ってくれたかもしれない。そして、その後も笑い合って過ごせたかもしれない。親子が声を交差させるチャンスだったのに、みすみす逃してしまった。
 息子が帰省してきて、子供のころの話になったとき、私が「一番おもしろかったこと何やった?」と聞いたら、しばらく考えているふうで、ううんと唸ってばかり。なかなか返事がなくて、黙っている時間が長くなったので、結局その話は終わってしまった。どうしてそんなに無口になったのか。
 大人になってから一緒に楽しいことをする機会はなかなか持てない。カメのことを息子に任せきりにしないで、しゃべりながら私も一緒に世話をすればよかったんだ。そうしたら家庭の雰囲気も変わっていたような、そんな気がして、何だか寂しい。

 


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