見出し画像

スターバックスで奇声を上げる婦人がいた

「あ゛っ!!!!!」

という奇声がスターバックスに木霊する。
毎時聞こえるこの無作為な発狂音は、あの窓際に座る老婦人が発声しているという事実は、あの空間にいる誰もが認識していた。

その女性はいつもニット帽を深く被っているので、顔の全体像を把握する事はできない。だが、帽子の陰から覗く顔の皺から大体の年齢を想像することはできた。派手な柄のクロップトップの上にダウンジャケットを羽織り、それでいてタイトなレザーのミニスカートを合わせるのが彼女の定番で、温かくしたいんだか涼しくしたいんだかなんだかよく分からない倒錯したそのスタイリングから、混沌とした精神状態を感じ取る事ができる。

そんな彼女はどれだけ混雑している日も、必ずそのスターバックスに常駐していて、一時間ごとに奇声を発し続けている。音量は非常にデカく、また必然的に唐突であるので、彼女の発声のタイミングで店内のBGMは一瞬ストップし、二人組の女性はお喋りを中断し、勉強している男性の文字を書く手は停止する。そして僅かに時間が空いた後、また何事もなかったかの様に、全員がそれぞれの活動を再開する。

スターバックスという文化に激しい陰性感情を抱いている僕は、この異音にある種の痛快感を抱く時がある。「僕らって選ばれた人間だよね…」という雰囲気がスタバ全体を支配し、その内圧の高まりを感じて息苦しくなる時、その予定調和に全くそぐわない彼女の異音は、密閉された缶に開ける小さな穴の様に、微細だがそれ故ダイナミックな暴噴を引き起こす事がある。緑色のキャップとデカめの白Tに色付きの眼鏡を合わせた、POPEYEの見開き1ページ目コーデを着た男がわざわざ作りにきている「スタバでまったりする上質な時間」をまざまざと打ち砕く「あ゛っ!!!!!」という奇声に、そこらへんのヌルいフェスでDE DE MOUSEとかで両手を上げて昇天してそうな女達の「スタバでのお喋り」を粉砕する「あ゛っ!!!!!」というカットインに、ジャパニーズパンクも真っ青のオルタナティブを感じる事があるのだ。

ただ、僕も彼女に不快感を抱かない訳ではない。僕が嫌いなスタバ(ちなみに僕がここにいる理由は近くにパチ屋があるからである)を破壊してくれる存在として彼女が奏でる異音に心地よさを抱くこともあるが、単純に彼女の突発的な発声や、(恐らく)深淵の様な精神状態に対して、不愉快な気持ちを抱くこともある。

人は死に近い存在に対して不快感を覚えるようにプログラミングされていると思う。髪の薄さや背の小ささ、肥満や体臭等は、まとめて言ってしまえば健康体に比べて「死」に近い要素であるから、人はそれらから必死で目を逸らそうとする。太っている人間を蔑んだり、はたまた笑ったりするのは、死という恐怖から自分を隔てるための回避行動なのだろう。つまり、僕が彼女に対して不快感を抱いているのは、僕は彼女から「死」の存在を感じているということであり、さらにその感情はスタバをブチ壊してくれる存在としての憧憬の念と、確かに同居している。

今日もスタバに行く。いつもの窓際の席に彼女の姿があった。
「僕は彼女を見下しているのだろうか?崇拝しているのだろうか?」彼女を呆と見ながら考える。
今日は天気が良く、窓際の席に昼の光が当たっている。彼女はなぜか少し笑っていた。とても不自然な笑いだった。「それとも僕は、彼女を好きな自分が好きなだけだろうか?」僕は最近、自分がよく分からない。

今、もしこの場所に偽物の銃を持った男が現れて、全員を脅迫したとする。その時に、なんとなく不快感を覚えた彼女だけが空気を読まずにツカツカと店から出ようとして男が持っている銃が偽物であるという事が既成事実として判明し、事態の収束に至ったなら、今後、彼女の奇声はスターバックスにいる人間達にどう響くのだろうか。


もうそろそろ、彼女の奇声の時間である。未だ不気味な笑みを浮かべる彼女の顔に西陽が差し、妖艶な雰囲気を醸し出していた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?