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「人生はいつもプラマイ0。偶然プラスの時に死ねたら『いい人生だった』といえるだけ」

世界の法則とすら思っている。

結局、良いことと、悪いことは
同じ量だけ起きているのではないか。

偶然良いことが起きているタームで死ねたら幸せだ。

小さい良いことと、小さい悪いことが交互か、
小さいよいことが沢山と、大きな悪いこと一つ
そんな感じでプラマイ0になってると思う。

悪いことが、自分の身に降り掛かる分には
自分なら耐えられると思うし、
乗り超えられない試練はない、と母も言っていた。

ただ、
もし、人生における悪い事が
自分ではない人に起きたら。
例えば、親、配偶者、子供だったら。

◾️◾️◾️
地元に素行の悪い友人がいた。金属バットで、
彼女の元カレの頭をかち割ったとか何とか。

相当好き放題な人生のように思えたが、
落ち着いて結婚して子供を授かってた。

その子は先天的に障害を持って生まれてきた。

彼はショックだったかもしれない。

彼はこれからの残りの人生を
この子と一緒になって、
差別や困難を乗り越えていくことになるだろう。

たとえば、自分が事故などで後天的にそうなってしまったら、
そういった差別や社会的な困難に立ち向かって
自らの力で乗り越えていけるだろう。

ただ、自分の子供が
そのような差別を受けてしまうかもしれないと思うと、
胸が引き裂かれる思いだろう。

もしかしたら、何度も1人で泣いたりしているのかもしれない。

それを家族で乗り越えようと一段と強い家族愛が3人を結びつけているのかもしれない。たぶんそうだろう。


そんなことを思っていたら、

自分も割と恵まれた環境で良い友人に囲まれていたと思う。
それなのに、
親や友人を傷つけてしまったこともあったと今では反省している。若気の至りなのか。

この報いがいつかくるのかもしれない。


それは自分ではなく彼のように、
自分の子供が背負うこともあるかもしれない。

そんな事を思っていた。


そして、私の妻は難病になった。

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