「ほどほどに上手くこなしてきただけの凡人」の向上心と分相応とは相反するモノなのかという思索

世の中には成功者と言われるような、
億万長者と言われるような人たちがいる。

まぁこれも、本当に宇宙に行ってしまうような人もいれば
程よく六本木で毎晩飲み歩いてタワマンに住める程度の人もいる。

私はそうではない。
至極一般人だし、恵まれたことに世の中一般で言われる
モデルケースみたいな人生を歩んでいる。

大学を卒業し、会社に就職、結婚し、車を買い、家も購入している。

「あなたのいう普通ができない人もいる」とか
「当たり前だと思って言える時点で感謝が足りない」とか
まぁ、そういったことをいう人もいるが
自分の「普通」は人と比べるモノでもないので、私にとっては普通だとしておこう

なぜこれを「普通」と思っているのか。
多分、もっとやれると思っていたからだと思う。

もっとお金持ちになって、もっと社会で役に立つような大きな仕事を
夢見ていたからこそ、今の生活が「普通」と感じるのだろう。

◆◆◆

向上心はある方だと思う。

人並みに話題の本は読み、自分と向き合い、失敗を通して
過去の自分より確実に考えられる幅は広くなった。
※もちろん今だって視野狭窄に陥ることもあるが、それを自認している・・・

でも、分相応・背伸びをしない・身の丈を知る・という考え方を学んでから
わかんなくなってきた。

いや、頭ではわかっている。
何事も自分を成長させるために、向上心は幾つになっても必要

ストックとフローで言えば、フロー。
どんどん新しい出来事・出会い・知識を入れていき、
自身をブラッシュアップさせていくこと。

身のたけを知る、背伸びをしない、は
“現時点”の自分に合っていないことをしない、ということ。

年収300万の人がローンをして1000万の時計を買うとか?
※それで頑張れる、という理論は置いておいて。

つまり、ストック。今の自分に貯まっている力を理解すること。


でも、何かをしようとするたびに、分不相応なことをしているのでは?
今の自分でやるべきことは他にあるのではないか などと余計な思考が入ってくる

あぁ、書いていてわかった。
めんどくさい という怠惰な気持ち と 
分相応・身の丈 というワードが出会ってしまっていたのだ。

いや、気づいていないふりをしていたけど
これを書いていて、「気づいているでしょ」と目の前の文字たちから
言われていたのかもしれない

何事も続かないけど、いつでも新鮮な気持ちで再開できるのが自分のいいところ

また、始めよう。

自分の人生に責任を持つとは、そういうことなのかもしれない。
そう思うと、これを書いている間にうずうずしてきた。

決意を新たにすることは意味がない、とよく言われる。
その日その日の意志に左右されるから。
続けられる動機が重要だと。

決意を新たにしてしまった自分を後悔する。

とまぁ、大体ここまでは想定通り。とりあえず、暑いからシャワー浴びよう。



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