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大学生活と、現状

ついこの間、Twitterでフォローしている方が、文を書くことをしなくなったために文章力は下がり、脳がツルツルになってきているとnoteに書いていたのを見た。私も危機感を感じたので、前から気になっていたnoteで少しでも文章を書くことにした。

私の中の文章力の全盛期は高校のときだったと思うけど、それももう終わっている。
周りの友人が語彙力豊富で、交わす会話が面白くて、それについていきたくて必死で。できるだけ発言をレシーブして、ない語彙を捻り出して毎日喋ってた記憶。LINEの履歴を遡ると、今の私では考えられないくらい達者に日本語を話している過去の自分がいる。
文章力の低下が恐ろしい。コロナ時期に外出しなくなり、高校を卒業したことで友達との会話が少なくなったことを理由に、そこからどんどん下がっていく一方。最近では活字も全然読まなくなってしまった。
恐ろしさを語るのはこのくらいにしておこう。

この3月に晴れて大学を卒業した。
いまや日本では、大学を新卒採用の踏み台のような扱いをする風潮もあるけど、高校のときは純粋に学びたいものがあり、心をときめかせて志望した大学で、私は何を学び、何を獲得しただろう。
以前Twitterで見た、「結局大学行って学んだのは、自分がギリギリまで提出物をやらない人間てことだった」みたいな、人間性の学びなのだろうか。
まぁそれも、一理あるとは思ったけれども。

自己紹介で心理学科(卒)と言うと、場がざわついたり、心が読まれる〜なんて言う人もいたけど、なんと心は読めるようにはなりません。心が読めるようになる訓練を大学でしていると思ってるのだろうか?いや、期待するのは分からなくはないけど。
心理学科卒くらいで心が読めたらみんな行ってる。DaiGoは量産型じゃないんだよ。
人間はこういう状況の時にこう行動しやすいよとか、身体とか脳とか歴史とか、実態のあるものから心と呼ばれるものを理解していくって感じで、スピリチュアルなものじゃ全くないです。人の心を読み解きたいならDaiGoの本でも読んでくれ。その過度な期待の目が辛い。

大学で何を学びましたかと不意に言われてもパッと出てこないことが、いまでもたまに、積み重ねてきたものが無いように思えて辛くなるけれど、何か関連する出来事があれば思い出せることも様々あるし、高校の時より見る世界は確実に、横にも縦にも広がっている。
周りに上手くアウトプットできないのが申し訳ないけれど、その実感がこれからも私を生かすと思う。

それと、大学生活では予想だにしていなかった、人生においての大きな変化もあって。
なんと旦那さんをゲットしたわけで。(おちゃらけた言い方がしたかっただけです。旦那さん、愛してるよ。)
この大きな出来事が、大学に2時間かけて行ったことに意味付けをしていただいたなと思っている。

旦那さんと知り合ったのが、3年生が就活を始める時期だったから、私は就活ではなく婚活をしていたわけですね。
3年は単位数が本当にちょうど良くて、週3登校最高!遊びもバイトもしやすくて人生が潤う!と本気で思っていたし、心も比較的安定していた時期だったと思う。
結婚して4年生になって、授業はほぼなかったから、学生という身分を持ちつつ、時間もある状態で結婚一年目を迎えられたのも良かった。
1年でも2年もなく4年でもなく、3年生のときで本当に良かったと思う。本当にこの世の主である神様は、最善のタイミングで物事を動かされるお方だなと思った。
でもそう思えるは今だからで、やっぱり当時は、悩みに悩んだ。
新卒で就職しないなら大学に行った意味があるのか。大学で専攻した学問を活かした職に就くのが当たり前な価値観の人からの、「どこに就職するの?」というプレッシャー。
結婚が先か、就職が先か。結婚したら就職するかどうか。就職しないのであれば大学は早めにやめてお金を無駄にしないべきか。いろんな葛藤が、身体にも影響を及ぼした時期もあった。

実際、専攻した学科に準ずるもしくは関連する就職先につければ1番理想だと思う。心理学科は人間に関係するあらゆる就職先に関連するといえば関連する。一般企業であっても。でもみんなが想像するのは、そうじゃない。カウンセラーやそれっぽい職だと思う。しかし、心理学科の学部を卒業してもカウンセラーにはなれない。国家資格である公認心理師を取るにはプラスで2年の大学院はもちろん、学部でも実技を受けていなければならない。悪気はないにせよ、それを知らない人たちからの問いに、「いいえ、私はカウンセラーにはなりませんし、それに関する職にも就きません」と否定していくのは、それを理想としていた自分を否定しているようで、静かに着実に喰らっていた。

職に就くことを理想としているのは自分なのか世間の目なのか。自分と向き合う時間に、解決策を見出してくれたのは、考える時間と、イスラムの知識だった。

女性には、働く権利も、働かない権利もあり、両方の権利が保証されていると。

とある勉強会で、「預言者の妻であった人は、仕事をせず(する必要がなかったため)、夫と子供の世話をすることだけで満足していた。」という文章を読んだ。衝撃だったのは、それだけで満足をするということが、良いように書いてあるようだった。良いなと思った。欲深くないというか、それだけで満足できることが、素晴らしいことなんだと、心にスっと入ってきた。(もちろん手に職をつけている人を否定しているわけではないく、イスラムにおいて女性は、置かれた状況と環境、能力によって仕事をするかしないか、自由意志で選べるのが前提です。)

そこで、強いられているわけでは全くなく、なんなら働かないという選択肢を法的にも旦那さんにも与えてもらっているにも関わらず、世間の目を気にして働かなきゃいけないという思考でいっぱいになっていたことに気づいた。私が気にしていたのは誰かも分からない世間の目で、目の前のことが見えていなかった。
そこから徐々に、徐々に徐々に、それは解けていった。今となっては、何故そこまで思い詰めていたのか思い出せないくらいに、心は軽くなっている。

結婚したあと、とある友人グループで通話をしたときのこと。私に「家でなにしてんの?」みたいな(ニュアンスだった気がする)ことを言った友人に対して、私は即答できなかった。逡巡していた私の思考を遮るように、もうひとりの友人が「家で仕事してんだよ」と言った。いまでもその言葉を思い出す度に嬉しい。揺らぐ度に思い出す。ありがとう友人。


そんなこんなで学生の身分が無くなった私は今専業主婦になったわけだけど、2月から、アラビア語のオンラインクラスに入って、週3でアラビア語を学んでいる。
語学が苦手(様々な意味を含んだ苦手)だけど、アラブ圏に留学経験のある日本人の先生が、オンラインでクラスを開いてくださるというから、またとない機会だと思った。しかも、アラビア文字が読めればOKで(クルアーンは読めるのでアラビア文字は読める)、アラビア語を習ったことがない初心者向けだという。
最初は、正直面倒だし、ついていけるかどうか悩んだ。でも、このコースが1年間だと聞いた時、来年には少しアラビア語が身についている自分と、そうでない自分を比べた時、前者がいいと思った。今が1番若いからな〜。
あとは、学校も終わったし、時間が有り余るくらいあるから。良いタイミングだった。アルハムドゥリッラー(神に称賛あれ)。

実際、大学も、1月には終わってた。4年生だから試験もないし、最後の学期はゼミしか取ってなかったから、卒論発表くらいしかなかった。
その期間どうしてたかっていうと、なんと12月から別のオンライン講座にありつけていたのだ〜。
週2だけど、1回につきPDF4~6枚分くらいあるから、そこそこの情報量だったし、何より、教えてくださる方(現在進行形である講座の補講のため、先生ではなく生徒さん)がとってもお優しくて、補講内容はもちろん、その後の雑談も楽しくて、それが12月頭から3月上旬頃まで続いた。
学校が終わってからも期間を空けることなく充実した日々を送らせてもらえている。アルハムドゥリッラー🤲

そして、3月頭からラマダーンに突入し、例年以上に自分自身に向き合っている日々を過ごしている。

今後の目標、やるべきこと、やりたいこと。沢山出てきた。有言実行もかっこいいけど、不言実行で行きたいな。が、写真は撮りに行きたいなと思っておりますので、被写体になってくれる人、一緒に散歩行ってくれる人、いらっしゃったら、ぜひよろしくお願いします☺️

句読点使いすぎじゃない?文を短く読みやすくしたい。

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