プレゼンテーション1-1

絵に”感情”が表現されるようになった

 こんにちは。Naokiです。
 今回はヨーロッパ絵画を見る上で重要なポイントでもある、”ルネサンス”についてまとめます。これを押さえておくだけで、ヨーロッパでの美術館がより楽しくなるはずです!

人々の見たい、知りたいという欲求が大爆発した

 ヨーロッパで描かれた絵画のほとんどのテーマがキリスト教についてでした。イエスキリストや彼の母マリアの生涯が描かれました。ルネサンスという芸術改革が興る14世紀以前では、芸術家は自由に絵を書くことができませんでした。芸術家には制約があったのです。それは、キリスト教はこうあるべき、という概念に沿って描かなければならないということです。キリスト教の根本は、信じる者のみに道が開かれる、ということです。哲学のように、なぜイエスキリストはこうなのか、などと疑うのは御法度なのです。
 イエスキリストや聖母マリアは、人間を超えた存在と考えられています。だから、画家が思うように描くことがタブーとされていました。人間らしさを表現してはいけなかったのです。中世以前の絵画は、人間らしさは一切感じられない作品です。目はまん丸に丸ポチ、十字架に処されても目は開いたまま、手足はシャキっとしている、などです。

 規制を強いると、それに反発する気持ちが強くなるのは人間なら当然なことです。経済が豊かになり、人々の生活の中に美術が日常になったときに、ルネサンスが起こりました。

人間らしさを絵で表現した

 このルネサンスを始めたとも言われている人物で、ジョットという人物があげられます。ジョットはこれまで表現されることのなかったことを次々と絵で表現することで、有名になりました。それは、”登場人物の視線”です。

 この絵はジョットによる、イエスキリストが自分が架けられる十字架を自ら背負いながらゴルゴダの丘という場所へ登っていく場面を描いた作品です。画面右手の十字架を背負っているのがイエスキリストで、一番左にいるのが聖母マリアです。死ぬ直前に、最期に一目だけ、自分の母親を見ようとするイエスキリストに対して、刑務官が(振り向かずにさっさと歩け)と言っているかのような仕草をしているのがわかると思います。マリアにとっては、これからまさに自分の息子が死ぬというのに、目と目もすら合わせられないことを悲しむ描写が描かれています。

 この絵はまさに親子愛を感じさせられる作品となっています。これこそ、人間らしさです。神という絶対的存在でありながら、目線を強調することによって人間らしさをジョットは表現したのです。


 話はそれますが、この絵は、イタリアのパドバにあるスクロヴェーニ礼拝堂の壁に描かれている絵の一部です。ここは、新約聖書(聖母マリアの誕生からイエスキリストの生涯を表した物語で、キリスト教の経典とされているものです)の重要な場面が紙芝居のように表現されています。もともと教会絵画は、文字の読めない人々でもキリスト教の教えがわかるようにと生まれたものです。ここにくれば、キリスト教がどんな物語なのかがはっきりと知ることができます。残念なことに絵画保護のため、一度に入れるのは25人まで、15分間と厳重な管理下にあるため、じっくりとまた気軽に見ることができません。また機会があれば、スクロヴェーニ礼拝堂の絵をもとに、イエスキリストの生涯についてまとめたいと思います。

より”リアル”を求めていくように

 ジョットの目線によって生まれたルネサンス芸術は、リアルさを追求していきます。これは”キリスト教はこうあるべき”という当時の常識をまずは疑うということの始まりを意味します。リアルさを追求した芸術は、実は大昔に存在していたのです。それが古代ギリシャ・ローマです。ルネサンスとは、「再生」や「復活」という意味を持ちます。つまり、大昔の芸術を復活させたのがルネサンス時代なのです。
 古代ギリシャ彫刻を見ると、筋肉モリモリで、人間そのままを見たような印象を受けます。これこそ、リアルの追求です。こうしたルネサンス時代をさらに発展させた重要な人物が3人います。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、そしてラファエロです。
 次回はこのルネサンス最盛期を気づいた3人の巨匠について迫りたいと思います。

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