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全恋は誰が書いたのか?

占い師 コスモ・オナンが最初に「ご機嫌よう。」とナビゲートしてくれる本が『ひろのぶと株式会社』から出版された。本名 稲田万里でいくと聞いていたので、コスモ・オナンの名は封印したのかと思っていたが、どうやらそういうことでもなかったらしい。

noteで連載していた頃が懐かしい。

さっそく購入して読んだところ相変わらず赤裸々なお話も多いので、本名で勝負を賭けるにはリスキーな感じがしなくもないが、本を読み進めてゆくにつれ、そういえば稲田万里の名が本名かどうかも怪しく思えてくるから、これは彼女の言葉が織りなす術中に私もまんまと嵌ったのかもしれないな。そんな疑念もわいてきた。

自叙伝かと問われれば小説ですとの答えが返ってくるので、小説なんだろうが、性が乱れた私のエッセイ集ですと紹介されれば、それはそれで「そうなのか」と信じてしまうだろう。特に前半は獣のようにセックスの話がループされるし、無間地獄にでも落ちたのかと錯覚すること間違いなし。あなたも「私は何を読まされているのだ?」と疑問に感じるだろう。しかし、後半も過ぎたころから、「あぁ──これはエッセイ集の形を借りた小説なのだ」とようやく理解することができた。

特に第三章の『流転』からのギヤの入り方がいい。読んだ方は分かるだろうが、物語はこのあたりから徐々に過去に転がってゆく感じがするのだ。この感覚は大切なポイントで、第四章の『上京』、第五章の『幼少』へと続き、最後には『私』が存在しない第六章『一周』へと帰ってゆく。

そしてエピローグが終わり、ページをめくると、そこにはただ一言

次の運命へ──。

全部を掛けない恋がはじまれば P.189

とある。


こりゃまいったな。正直そう思った。
noteで連載しているときには分からなかったことだが、これは運命の話だったのだ。通して読むことでやっと見えてきた。運命に翻弄される人間のお話。
それに気づかせてくれたのは編集の力なのだろうか?稲田万里の力なのだろうか?それとも占い師 コスモ・オナン?
分からないが、このnoteを読んだあなたもこの本を買って、一緒に翻弄されてほしいと願う。

あんまり理解しようとしちゃいけない。翻弄されるのが多分この本の読み方なのだろう。

#全部を掛けない恋がはじまれば
#稲田万里


ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んでくれたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことだなー