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不惑のはずのぼくが惑っていること

こないだ感受性のバイオリズムについて書いたが、このバイオリズムが低いとき、どうもグチっぽくなる。日々なにも思わないなんてことはないので、なにかは思うのだけれど、もともと口がわるいことも相まってグチがこぼれる。

多様性って許容範囲がせまいだの、かつて厳しい人はやさしい人だったけどいまは厳しくてやさしくない人が増えたねだの、だらしなくて天才にあこがれる人が多くてだらしなくて凡人ばたりだの。その考え、あまり深ぼりしたくないねということばかり。春にこうなることはめずらしいよなぁと思っていたけど、それもこの毎日noteをやっているから感じることだと思う。今年の春は新緑を感じたり家の植物が元気だからとてもうれしいんですけどね。そんな人がグチっぽいってなんだかフシギ。自分のことだけど。

きのうはずっと「行かなきゃ」と思っていた鶴岡八幡宮へ。御札などを返納して、お参り。今年は訪問がおくれてすみません。とあやまりました。ホントは本厄だからご祈祷もしたかったんだけど、お腹がすいちゃったり、さすが鶴岡八幡宮という料金にびびったりしたもんだから「今年はいい出会いが多くて厄って感じしないよ」と厄除けの御札だけ買ってお昼ごはんを食べにいきました。厄年ってなにもわるいことだけでもないそうで、考えかたを変える人生の節目という捉え方があるみたい。不惑のいわれる40才だけど、慣れたら飽きる性格だから戸惑うことばかりやってる気がする。仕事でも家庭菜園でもあたらしいことを始めたい。スイカやネギを作ってみたい。
仕事はあたらしいっていうか延長や枝葉だな。書く仕事をふやしていけるようにがんばる。書くことってなぜか飽きない。ぼくはデジタルに支えられて仕事ができていると自負しているのだけれど、アナログの代表格である「書く」ことに重きをおこうとしているなんてね。まだまだ自分がわからないです。自分こそが不惑なはずのぼくを惑わせる。

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