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なに者にもならなくても良いという結論


20代から何振りかまわず頑張ったり、
何者かになりたくて、もがいてた。

あの頃は、あの頃で楽しかったけど、
今は、多くの時間をゆっくり過ごす事が、
人生の豊かさなのかと感じる。

世の中の"消費"に囚われていた。
わたしもその一部の広告に
携わっていたから、誰が使うか分からないサプリメントや化粧品のターゲティングに注力し、多くの時間を割いた。

まあ、仕事だから。

で片付けるのは、早いだろうが、
見えない疲れが、襲いかかり、
また世の中の"消費"に加担した。


今の給与は、その時の2分の1だけど、
お金の余裕もある。

無理やり、自分をお酒の場へ出向かせ
仮面を被った笑顔を振る舞う事もない。

ブランド物のバックは持った事がなかった。
異性に物を買わせた事は無かったが、食事はご馳走になった。

麻布十番に住んだ。

自分で買う高い服には限度がある。

友人とは、よく外食をした。
預金するようなお金は無かった。

自分なりに抵抗して、自立した気になっていた。

何者でもなかった。
ただそれが心地いい。



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