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文章でカネもらえて良かった…コラムの書き方 『過剰反応な人たち』(新潮新書)発売、この1年半のクソバカ時代を振り返りました 

9月19日、『過剰反応な人たち』(新潮新書)発売されます。週刊新潮の連載であるため、この1年半ほどの社会を覆う空気やその時に起きた事件等をベースに、ワシがコラムで好き放題意見を言いまくった原稿です。

項目についてはアマゾンのページを参考にしていただければ、と思いますが、本書に登場する毎度1400文字ほどの文章ががいかなる気持ちで書かれたか、について、そしてコラムの書き方についてと文章で食っていくということがいかに幸せなことかについて書いていきます。

さて、本書は週刊新潮に2012年12月から連載されている「この連載はミスリードです」に加筆・修正をしたものです。年末に連載500回となりますが、連載のタイトルは初代編集担当者・トリトリ氏がつけたもの。私が当時ツイッターで「ミスリードミスリード(Lead)うるせぇよ。お前がミスリード(read)するぐらい読解力がねぇだけだろオラ」みたいなことを書いたことがきっかけ。

「中川さん、何事も自分の気に食わない意見を見た時にミスリードって言う風潮、気持ち悪いですよね。いっそのこと、皮肉で中川さんの連載がミスリードする文章ってことにしましょうよ」と言われたのです。それもいいですな、ガハハハ。ということで決定しました。

基本的に当連載は、その時々のニュースや世間の空気感、或いは私の身の周りで起きたことを基に、ツッコミを入れたり、怒ったりバカにしたり、ほのぼのとしたり、感動したことなどを書いています。私自身、フザけた人間なので、収録されたコラムはほとんどが不真面目です。しかしながら、「人間」というものの営みのアホさと愚かさと愛おしさをその時々に切り取れたかな、と思っています。必然的にコロナ関連の話題が多くなっていますが、他のも入れています。

私が案外好きなエピソードは「自分が気にしていることを他人はまったく気にしていない。逆もしかり」に関する大学時代の話。この話、途中まで展開を書きます。

大学に入学した1993年4月、ワシは初めてキャンパスへ行った時、語学クラスの教室へ。名前順に我々は席に着いたのだが、隣にいたN君とは仲良くなった。そんな彼と夏休み明けに再会したが、昼休み、思いつめたような表情をして「ちょっと時間もらっていいか?」と言ってきた。一体どういうことだ……。何か健康上の問題でもあるのか、借金を申し込みたいのか、果てにはオレが実は失礼なことをしていて、彼を不快にさせてしまったのだろうか……。

そんな導入文なのですが、N君が言ったことがあまりにもバカげているし、他人のことを気にし過ぎ。人間なんてもっと単純でいいし、好きなように、ラクに生きればいい。一体彼は何を悩んでいるのか? に始まり、別のその手の事例(社会で発生した)についても言及する、という流れです。

と思ったら、ありゃ、最終段階では削られたかもしれない(笑)。ちょっとこの話見つけ切らなかった。それはさておき、それなりに幸せには生きているけど、けっこう他人の行動やメディアの論調、さらには政治家やら同僚、ママ友等に違和感を覚えている人向けに書いています。私は自分の考え方はマイノリティだと思っています。いわゆる「社会通念」とされるものについては、そのまま受け入れるのではなく、「それってヘンじゃねーの?」と思い、そこから頭の中でグルグルと色々なことを考え、持論を作り、「オレのこの考え方の方が正しい。誰が何と言おうと、受け入れられなくても構わん。オレはこの考えでいく。その方が幸せだ」と生きてきました。そういった文章は無数に書いてきましたが、ソレの2022年~2023年版が本書です。

というわけで、コロナ対策禍の社会に違和感を覚えていた方も含め、是非溜飲を下げてくださいませ。私の場合、もはや「感染対策依存症相互監視社会」である日本がイヤになってタイへ逃げましたが、その時のことも収録しております。

コラムの書き方

以前、「新聞記者から教わった新聞コラムの書き方8つの心得と実際の記事2本紹介【月刊お気楽フリーランス論番外編】 」というnoteを書きましたが、これの雑誌コラム版です。基本的な流れとしては以下の通り。

①感情を揺さぶられた例を思い出す(怒り・楽しみ・悲しみ・笑えた話。要するに喜怒哀楽)。それは自分の体験でもいいし、ニュースでもいいし、他人から聞いた話でもいい。
②そのことを「社会性」「今の時流・空気感」とどう絡められるかを考える
③そこをまずは冒頭に書く
④類似の話題ないしをもう一つ入れる
⑤ここでいきなり急転直下させ、逆のケースを入れる
⑥両方の意見を咀嚼した上で、結論を入れる。
⑦最後にボケるか、「そういえば」と入れて全然関係ない話を入れる

こんな感じでコラムってもんは書けますので、日々、社会情勢を追っていれば誰にもできることだと思います。しかしながら、私が非常に僥倖だと思うのは、こうして好き放題文章を書いていたらお金がもらえる人生になったということです。しかも、フリーランスなので一切出勤をしないでいい。朝食を食べた後、突然眠くなったら寝てしまう。満員電車で通勤途中に突然のっ便意。ピーンチ! なんてこともない。人事異動やら転勤にビクビクしないでもいい。

こういった人生が自分には快適ですが、むしろ会社勤めをした方がいい、と考える人もいる。どちらでもいいです。人間は自分が幸せであればいいのです。誰とも比較しないでいいし、自分の考えこそ、世界で一番正しい考えである、という自信を持つ。ただし、それが過ちであることに気づいたらその考えは改め、場合によっては誰かに謝罪する。そういった形でいきていけばいいい。本書の最終章は「ラクに生きよう」です。制作段階では仮タイトルとしてこの言葉になっていました。その後に別のものになり、最終的に「過剰反応な人たち」となりました。

皆様、どうぞお手に取っていただければ幸いです。善き人生をお送りください。


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