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仮面的世界【16】

【16】予備的考察(補遺ノ肆)─やまとことばの特性

 ここで、以前(第13節で)抜き書きした坂部恵の議論を引き合いに出してみると、柄谷氏が(歌舞伎の演技を題材としながら)描いた「転倒前」の概念・形象としての仮面は、坂部恵が(能舞台における仕掛けを例に挙げながら)見出したやまとことばの「おもて」の特性に通じている。一言で括ると、そこには「うら」(=心)がない、となる。
 ただ、注意しないといけないのは、転倒前の言語世界は、転倒によってもたらされた「音声中心主義」によって隠蔽され、本来のものとまったく異なって見えている可能性があることだ。
 柄谷氏は『〈戦前〉の思考』所収の講演録「文字論」において、近代のネーションが生まれる過程で生じた「言葉の変革」をめぐって、次のように語っている。いわく、世界帝国の言語つまりラテン語や漢字やアラビア文字といった共通の書き言葉によって表現されてきた普遍的な概念を、身体的・感情的な基盤にもとづくものにすること、すなわち「音声言語あるいは俗語」をつくり出す必要があった。西洋においても「言文一致」つまり「新たな文章表現の創出」が必要だった。
 デリダは『グラマトロジー』のなかで、音声中心主義はアルファベットを用いる西洋に固有の考えで、プラトンに遡られるものだといって批判しているが、必ずしもそんなことはない。音声中心主義はきわめて近代的なもので、ナショナリズムと結びつくものだが、別にプラトンから派生してきたわけではない。というのは、十八世紀日本の国学者のなかにもすでに音声中心主義があるからだ。(144-145頁)

《…国学者たちは、『万葉集』とか、『古事記』あるいは『源氏物語』などに、漢字によって浸食され汚染される以前の日本人のあり方、すなわち、「古の道」を見ようとしたのです。
 しかし、…彼らが完全に見落としているのは、『万葉集』とか『古事記』だとか『源氏物語』とかいったものがその当時あった音声を表記したのではなくて、すでに漢字を前提にしたエクリチュールによって可能になっていた、ということです。たとえば、ダンテがイタリア語で書いたといいましたが、しかし、正確にいうと、彼の書いたものがイタリア語となったのであり、また彼の書いた文章は、その地域の音声言語をそのまま表記したのではなく、ラテン語をその言語に翻訳したものです。(略)
 古代の日本も同じことです。たとえば、紫式部は漢字・漢語を使わないで仮名文字・大和言葉で書きました。だから、宣長などはここに真の大和心を見ようとしている。しかし、紫式部は非常に意識的にそれをやったのです。彼女は漢字が非常によくできたということをさりげなく日記に書いています。(略)ところが、紫式部は、あえて意図的に、仮名と大和言葉のみを使ったわけです。しかし、それは漢文でいっていることを大和言葉らしく翻訳したというべきです。》(『〈戦前〉の思考』149-151頁)

 坂部恵が言う「元来の日本語」すなわち「やまとことば」は、「音声言語」のことではない。より精確には、決して「純粋な音声」といった(国学的)想像物を指しているわけではない。
 むしろ坂部は、「おもて=表面」における反映(同一性と差異性)の戯れをめぐって、「そこには、みずからのうちにさまざまな成層ないし次元をふくんだ、一種の〈エクリチュール〉ないし〈テクスト〉がある」と言っている。それは、柄谷氏が「転倒前」の顔すなわち仮面を、「文字の根源性あるいはデリダのいうアルシエクリチュール」になぞらえていることとパラレルだ。
 私は第13節で、「やまとことば=ネオテニー説」なる自説に言及した。詳しい論述は省くが(というか、私はまだ整然と語れる理路を持ち合わせていない)、これを言い換えると、やまとことばは「はじまりの言語」の記憶を「かたち」(フィギュール)として伝えている、となる。そして、この「フィギュールとしてのことば」は、洞窟壁画に描かれた文字以前の形象に対してアンドレ・ルロワ=グーランが命名した「神話文字(ミュトグラム)」と‘地続き’だと私は見立てている。
 柄谷氏がルロワ=グーランの議論を借りて書いていたように、「絵から文字が生じたのではなく、表意文字から絵が生じた」のだとしたら、そこで言われる(音声や音声的文字との対比を超えた)「表意文字」──根源的な「原イメージ」とでも名づけるべきイメージ以前のイメージ(マラルメやヴァレリーが踊り子の動きのうちに見てとっていたような)、あるいは木村重信著『はじめにイメージありき』に描かれた観念やシンボルに先立つ“はじまりのイメージ”──こそが、転換前の仮面(原仮面)、すなわち「フィギュールとしてのことば」(やまとことば=幼体成熟した言語)なのではないかと。

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