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仮面的世界【24】

【24】仮面の記号論(狭義)─オクシモロンとマスク、認識の四角形

 瀬戸賢一氏による「認識の三角形」の説を拡張し、そこに第四の比喩として「逆喩」(撞着法、オクシモロン)[*]を、第四の記号として「仮面記号」(マスク)なるものを導入し、‘独自’の「認識(と存在と表現)の四角形」を打ち立てる。これが、私の構想でした(「韻律的世界」第35節参照)。
 このことについて、実は、論考群「哥とクオリア/ペルソナと哥」(Web評論誌「コーラ」に連載)の第7章で、私は次のように論じています。大幅に加工の上、自己引用します。

 ……瀬戸氏のいう「現実世界」すなわち「換喩(メトニミー)/指標記号(インデックス)/隣接関係」の世界が、実在する世界と仮構された世界という異なる層で構成されていたように、「意味世界」すなわち「提喩(シネクドキ)/象徴記号(シンボル)/包含関係」の世界もまた、実在する意味世界と論理的に可能な意味世界という二つの層を区分することができる。
 これらの、いわば静態的かつ水平的な重層世界に棲息する比喩もしくは記号が、二つの動態的かつ垂直的な認識=存在の力をもった比喩もしくは記号のはたらきによって駆動する。
 第一、「現実性」(アクチュアリティ)という「現」(もしくは「生」)の上昇軸に沿って収縮させ媒介する「生きた隠喩(メタファー)/類似記号(イコン)/類似関係」。
 第二、「潜在性」(ヴァーチュアリティ)という「空」(もしくは「死」)の下降軸に沿って弛緩させ解体(=逆説的に媒介)する「死んだメタファーとしての逆喩(オクシモロン)/仮面記号(マスク)/反転関係」。
(にわか勉強で、ヤーコブソンの「言語の二つの面と失語症の二つのタイプ」(川本茂雄監修『一般言語学』)を眺めていると、「換喩と隠喩の両手法の間の拮抗は,個人内であれ社会的であれ,あらゆる象徴過程に明らかに見られる.たとえば,夢の構造の研究で,決定的な問題は,象徴や用いられた時間的順列が,隣接性(フロイトの言う,換喩的な“転位 displacement”と提喩的な“圧縮 condensation”)に基づいているか,それとも相似性(フロイトの言う,“同一化 identification”と“象徴化 symbolism”)に基づいているかである。」(43頁)という文章が目についた。
 前後の文脈はさておき、また語彙の不整合には目をつむるとして、ここに出てくる「転位」「圧縮」「同一化」「象徴化」は、それぞれ「メトニミー/インデックス」「シネクドキ/シンボル」「メタファー/イコン」「オクシモロン/マスク」に関係づけることができるのではないか。
 ヤーコブソンは続けて書いている。「魔術儀式の基盤をなす原理は,フレーザー Frazer によって,二つの型に解消された。相似性の法則に基づく呪文と、隣接性による連合を基礎とするそれである.交感的魔術のこれら二種の大枝のうち,先の型は“同種療法的 homeopathic”あるいは“模倣的 imitative”魔術と言われ,第二の型は“伝染性 contagious 魔術”と呼ばれてきた。この二分画法は実に啓示的である.」(同)
 同様に、「伝染性魔術」は「メトニミー/インデックス」と「シネクドキ/シンボル」に、「同種療法的・模倣的魔術」は「メタファー/イコン」と「オクシモロン/マスク」にそれぞれ関係づけて考えることができるのではないか。)……

 以上のことを、第19節の「仮面的世界の基本構図(別バージョン)」に重ね描いたのが下図です。(【Ⅳ】はオクシモロンやマスクの本性に即して【〇】と表記しておきたいところだが、ここでは前例を踏襲する。)

        【Ⅱ】
         ┃
         ┃
      《実なる世界》
    意味世界 ┃ 実在世界
         ┃
 【Ⅲ】━━━━━╋━━━━━【Ⅰ】
         ┃
    可能世界 ┃ 仮構世界
      《虚なる世界》
         ┃
         ┃
        【Ⅳ】

 ※【Ⅰ】換喩[metonymy] /指標記号[INDEX] /隣接関係
  【Ⅱ】隠喩[metaphor] /類似記号[ICON]  /類似関係
  【Ⅲ】提喩[synecdoche]/象徴記号[SYMBOL]/包含関係
  【Ⅳ】逆喩[oxymoron] /仮面記号[MASK]  /反転関係

[*]瀬戸賢一『認識のレトリック』から。──以下の文章を抜き書きしながら、私は「やまとことば」のうちにその記憶の痕跡をとどめる「はじまりの言語」について夢想していた(第13節、第16・17節参照)。

◎対義語は同義語である
「オクシモロン[例:暗黒の輝き]が成立する根拠は、個々の意味がつねに弾性を秘めていることにある。AとBが対義語であり、かつ、その意味的対立が鮮明ならば、その度合に応じて、AとBは、互いが互いを照らす鏡となる。AとBは、共通軸上で両極化すればするほど、両極を結ぶ軸は太くなる。両者の対立が極限化するということは、AB間の公分母である意味的共通項が極大化するというに等しい。つまり、極限状態では、AとBは、ある一点を除いて完全に等しくなる。ここに、《対義語は同義語である》という逆説的心理が成立する。」(60-61頁)

◎潜在的オクシモロン─Aは反Aの超越を意味する
「…オクシモロンには、もうひとつ別な形式として、潜在的な結び付きのパタン[例:かわいさあまって憎さ百倍]が考えられる。AとBのどちらか一方のみが現れる場合。このとき、表面化したAは、極性化した単独のAではなく、潜在的に、Bが反転してできたAだと考えるべき。極性化したBは、究極の点を突破(超越)することによって、瞬時に、極性を反転させる。潜在的オクシモロンでは、Aは、反AとしてのBの超越を意味する。」(61-62頁)

◎生きているオクシモロン─知覚と精神のオクシモロン
「…補色残像の名で知られる視覚現象にも、オクシモロンが現実に生きている。柱のなかほどを膨らませるエンタシスという技法は、膨らみのない柱が中細に見えないようにするため。対立する要素は、直と曲。日本建築で、天井に多少のそりをいれておくのも、同じ発想に基づく。わび茶でひずみ茶碗が好まれたりするのも、精神のオクシモロンによるのだろうか。」(63頁)

◎原初の、豊かな、みずみずしい意味の差異性
「オクシモロンは、このように[例:諺や忌みことば、ニコラウス・クザーヌスの「反対物の一致」]裾野を広げると、私たちの精神のもっとも奥深い願望のひとつを表現する手段といえるのかも知れない。意味作用としてラディカルであり、日常語の惰性的な意味を揺さぶる。私たちは、ひょっとするとオクシモロンとともに、原初の、豊かな、みずみずしい意味の差異性を願っているのかも知れない。」(63頁)

 最後の一文に著者は次の註を付けている。──このような願望の宗教的な実践については、たとえば、エリアーデの『ヨーガ』を参照。その一節に、「反対物が合体すれば常に面の裂開がおこり、原初的自発性が再発見されることになる」とある。

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