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仏教経典とはガンダムかもしれない

最近、仏教経典を読んでいる。歎異抄や、正法眼蔵、金剛法華経。
仏教徒ではないが、仏教思想(敢えて宗教とは言いません)にはずっと興味がある。

経典とは、簡単に言ってしまえば、釈尊の教えを書き残したものだが、それは長い年月を経るなかで、写経を通じて、多くの人たちに広まるにつれて、新しい解釈が生まれ、ときには別バージョンが生まれ、道教やヒンズー教なのどの、他の思想すら取り込まれていく。

そして、その中で、釈尊の教えに忠実なものかどうかや、正しいか正しくないかは別として、矛盾箇所や、ふさわしくない語句が淘汰されて、もっとも多くの人にありがたいと思われたバーション(経典)だけが残っていく。

特に、宗教心なしに、仏教経典を読んでいると、その内容もさることながら、やはり「救い」を巡る、一つの巨大な神話物語だと思ってしまう。つまり、多くの人の手が入ったバイブルのバージョンと、そのスピンオフ作品群。

笑われるのを承知で言えば、今の時代で言えば、富野由悠季さんのガンダムシリーズが一番近い姿なのかもしれない。

ご存じ、ガンダムは、半世紀近く前のファーストガンダムの宇宙世紀に始まり、各種スピンオフ作品、リマスターのガンダムSEED、最新の水星の魔女など。

正統と言われる宇宙世紀シリーズだけしか認めないという人もいるが、すでに五十年近くたち、そこには正しいガンダムというわけでも、作品の上下があるわけでもない。
もはや、そこには見る側が選ぶ好きなガンダムがあるだけだ。その中で、ファーストガンダムだけは仏教経典で喩えれば、「般若心経」のような特別な存在なのかもしれない。ある一つのメルクマールとして。

ガンダムと仏教思想の親和性については、また別の機会に述べるとして、少し前に、未完に終わった作品は誰のもの?という記事を書いたが、本当に残る、素晴らしい物語というのは、仏教の経典群や、ギリシャ神話、コーランなどのように、多くの他人の手を経て伝わっていくものかもしれない。

そして、本当のオリジナルな作家というのは、ファーストガンダムを書いた富野由悠季、仏教徒では龍樹のような方を言うだろう。
そこから、多くの正当、亜流、派生作品が生まれていく、それだけが古典と言われる作品を除き、ある一つの作品が、時の風化から逃れられる唯一の手段かもしれない。

そして、いつしか、そんなような小説を書いてみたいと思う。それは作家の夢でもある。永遠に残るであろう歎異抄、法華経、般若心経のような。

ではまた





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