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チラシの裏

毎日毎日ノートに向き合って進まない筆を握りながら日が暮れるのを眺めている。
予定していたレコーディングがなくなったのでこういう時にアイデアはまとまる。
作りたいものがある時は良くも悪くも他のことに興味が湧かず、あれだけ毎日書いていたエッセイもこの有様。毎日投稿してえらい!とnoteは誉めてくれていたが昨今投稿しても投稿されましたと事務的な事しか言ってくれない。
8マイルというエミネムの映画でバスの中で小さい紙にびっしりリリックのアイデアを書き留めている場面があったはず。Googleで検索してもその場面は見つけられなかったけど、とても印象的だし共感できてよく覚えている。ノートは売るほど持っているけれども、あんな風にやるべき事がハッキリしていて向き合っている瞬間の集中力は隙間なく書かれた一枚のチラシの裏に詰まっている。集中力が切れてどうでもいい隙間娯楽を貪っている時に、その場面を思い出すようにする。

作るものが毎回違うじゃないかと言われる、そしてまた違うものを作っている。とても苦労する。イメージが浮かんだら最後、それをカタチにするまでモヤモヤが付き纏う。どんなにお金を払ってもそれを人に頼むことはできない、絵で浮かんでいるから言語化できない、自分でやるしか方法がない。理解はされないが、きっとずっと理解されないのだ。

コーヒーにウイスキーを入れて飲む。
経験上絶対に夜眠れなくなる飲み物だ。歌も歌えなくなる。
これを飲むとスリップノットのスピットイットアウトのMVを観て泣きそうになるくらいキマる。こんなのどうやって作ったんだ、と理解ができないすごい歌のリズムだ。そういう類稀なる凄いものと自分を比べてしまうクセがある。まぁその題材でこの前一曲作れたので良しとしよう。私だってアリアナグランデのように歌いたい。上咽頭炎も治して毎日のように練習していても、アリアナグランデのように歌えない。

どこにも売っていないようなでっかいテーブルを作って使っているけれど、実際に使うのはほんの一部だ。後はよく使う小物や機材や植物でいっぱいになっている。かと言って小さいテーブルでよかったのではないかというわけではない。その奥行きが心地よく、機能的なのだ。
時間をかければ良いものができるわけではない、良いアイデアが生まれれば過集中して一晩で納得のいく曲ができてしまうし大きな時間の確保は不要なのか?とつい最近思ってしまっていたが、そんな事はないと今は思っている。経験上良い物ができたとき、向き合う時間に比例している。時間は必要なのだ。言い換えると私の手に掛かれば時間を掛けて向き合えば良いアイデアが生まれるようだぞ、という自信が芽生えてきたとも言える。何当たり前のこと言っているんだという感じだが、なんかこういう事をいちいち納得しながら進まないといけない人間のようなのである。

よく考えたら会社で働いていた期間、曲のアイデアを生み出したのは大抵ゴールデンウィーク、夏休み、正月休み、その他3連休、それぞれの終盤であり、さぁ何曲も作るぞ!と意気込んでも一曲、それも骨子となるアイデアが少しカタチになったくらいで休みが明けて、忙しい中でそれに肉をつけていくことをずっとしてきた。大きなテーブルに似た、まとまった時間が必要なのだ。まとまった時間ほど尊いものは無い。

写真は焚き火に寄ってきた猫。

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