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【小説】「ミスタ・サンセット・ゲストハウス!」第2話

 うたた寝から目覚めたら、とっくに日が暮れていた。これでは何をしにきたのかわからない。自分に毒づきながらシャワーを浴び、階下に降りると、鈴音と名乗った女性が食堂で洗い物をしていた。俺が入っていくと特大の笑顔を投げてくる。
「さっきご飯できましたーって放送かけたんですけど降りてこられなかったので、眠られてるのかなって。お肉焼きますから待っててもらえます?」
確かに肉の焼ける旨そうな匂いが充満している。ただ少しがっかりという気持ちが湧いたことも否めない。何も沖縄まで来て肉もないよなあ。顔を上げて俺の冴えない表情に気づいた鈴音が、あ、と声を上げる。
「もしかしてステーキ嫌でした?今日スーパーでお肉祭りだったんで。沖縄って牛肉も美味しいんですよ。」
別にこの宿で贅を尽くした沖縄料理を期待していたわけでもあるまい。ちょっと気分がぎすぎすしすぎている。いや、ステーキで構わないよ。俺が笑みを浮かべると、鈴音は安心したようにつけ足した。
「その代わり副菜は沖縄っぽいものをご用意してますので。明日はお刺身か何かにしますね。」
いや、明日はもう泊まらないと思う、と胸の内で言っている。後で伊吹に連絡して手立てを考えよう。

 しばらくしてじゅうじゅう湯気の立つステーキを運んできた彼女は、続いて沢山の副菜とやらを持ってきた。得体の知れない物があったので尋ねるとミミガーだと答えた。牛の赤身に豚の耳。なかなかの組み合わせで、元気溌剌とはならない。相変わらず詞書きのこともどんよりとのしかかっている。気晴らしになるかと、水を入れたピッチャーを運んできた鈴音に尋ねてみた。
「ここは二人で回してるのか?オーナーはどこにいる?」
あはははは、と豪快に笑われてしまった。
「それ毎回訊かれるんですけどよっぽど見えないんですね。オーナー、影井君ですよ。」
「影井とはあのウサギのことか?」
鈴音はまだ笑っているが、俺は面食らった。てっきりバイトだと思っていた。あんなやつが経営者で本当に大丈夫なのか。俺はまだ、客に説教しているあいつと、俺をいらいらさせたあいつしか知らないのだ。
「あれですあれです。さっきまではいたんですけどね、二軒向こうのおばあの家でハブが出たっていうんで、目下退治に駆り出されてます。」
その情報を得てもリアクションの仕様がなく、それからはただ黙々と食事を平らげた。鈴音はなおも楽しそうに俺が飯を食う様子を眺めていたが、そのうち、何かあったら呼んでくださいね、と奥の部屋へ下がっていった。自然と大きな溜め息が出てしまう。目黒のスタジオの様子を思い浮かべる。マスタリングは順調だろうか。ドラムのとり直しは俺のイメージどおりにいっているのか。次のツアー日程の詰めも急がなければならない。今すぐにでも東京にとって返したい思いが襲ってくる。そしてすぐに思いとどまる。今こそ自分と向き合わねばならない。書けるのか書けないのか。どちらにしても今後の流れが変わってくる。それを見極めるためにも、俺はこの時間をもがいてすごすしかないのだ。

 ボリュームのあるステーキを食べ終わると、新しく水を注いで飲み干した。とりあえず一度伊吹に電話を入れておこうか。スマホを取り出そうとしたところで、黒スーツがスマホ片手に食堂に入ってきた。さすがにジャケットは脱いでいたが、窮屈そうなワイシャツ姿のままだ。
「そうそうそう、結構いいメンツ揃えてんだから、そっちも可愛い子、頼むよ。あ、ちょっと待ってて。」
通話口を手で塞いで、お姉さん!ビール!と叫んだ。居酒屋と間違っているのではないかというぞんざいな頼み方だったが、鈴音は缶ビールを二種類手に持って軽快に登場すると、どっち?というふうに一つずつ掲げてみせた。なかなか可愛らしい素振りだったが、黒スーツは面倒臭そうにオリオンビールを顎で示すと会話に戻る。
「え?こっちはマジですごいよ。ウチの局のプロデューサーとかドラマ編成部のヤツとかさ、今、ウチの班が火曜九時からのドラマ作ってんのよ。え?演者?あー、うーん、それはどうかな。訊いてみるけど、」
闇に沈んでいた庭側のサッシがにわかに開いたかと思うと、ウサギ男改め影井がぬっと現れた。憮然とした顔で通路をうろついている。俺の側から見ると無意味にうろついているのが手に取るようにわかる。明らかに黒スーツの会話に聞き耳を立てている。
「え、今?まだ仕事中だって。合コン来週なんだから急げよな。揃ったら連絡ちょうだいよ、はいはい、んじゃ。」

 男が電話を切ると、待っていたかのように影井が濡れ布巾を手にし、テーブルを雑に拭きながら男の方へ進んでいくのが見えた。
 「お客さんはあれですか、テレビ局の人なわけですか?」
なかなかのスピードで男に接近した影井が躊躇なく声をかけると、ビールを喉に流し込んでいた男が、何だよ、と鬱陶しそうに答えた。
「この宿は宿泊客の勤務先まで訊くのかよ。」
 再び険悪になる気配を察したのだろう、鈴音が少し離れたところから声を出す。
「ここの常連さんにもラジオ局の人がいるんですよ。それでだよねー、影井君。FMかりゆしのDJさんなんですよ!」
男は小馬鹿にしたような視線を鈴音によこした。
「ザ・地方局じゃねーかよ。こっちはテレビ・キャピタルだよ、テレキャピ、知ってるだろ。何もないド田舎じゃ東京の局なんか知らねーか。」
男は空になった缶ビールを音を立てて置くと、むくれた態度のまま食堂を出ていった。

 テレキャピという言葉が出た途端もやっとした感情が込み上げてきた。あいつ、マジでテレキャピの人間なのか。身バレしてないよな?などと俺がめまぐるしく考えを巡らせていると、スーツ男の態度に気を悪くしたふうでもない鈴音が、
「影井君おかえりー、おばあどうだった?」
と言っているのが聞こえ、そちらに目をやった。影井にお茶を注いでやっている。オーナーと従業員というより、仲の良い友人同士に見える。鈴音はあんな面倒なオーナーの下でなぜ働いているのだろう。
「いやはや参りましたよ。おばあの家でハブ出現!助けて!なんて言うもんだから血相変えて馳せ参じたら、こないだの休みに遊びにきてた孫が忘れたホットカーラーだったんですよ!あんなまっすぐなハブがどこにいます?蛇行あっての蛇でしょう?」
 あはは、と鈴音がまた楽しそうな声を上げる。本当に鈴を転がすようなあっけらかんとした笑い声だった。影井はいたって真顔で持って帰ってきたビニール袋から何やら取り出している。
「これ、おばあが出動のお礼にくれたお手製の芋餅。こんなの作れる腕力あったらハブぐらいどうにでもなるでしょうにねぇ。はい、これ、佐藤さんの分。一分一秒ごとに硬くなってくんで今すぐ食べることをお勧めします。」
影井がわざわざこちらのテーブルの傍まで来て芋餅の入った袋を渡してくるので、思わず受け取ってしまった。こんなやつでもさすがに宿泊客の名前(偽名だが)を覚えていることにも、少し驚いた。
「わあ、美味しそう。梓ちゃんと隼人さんの分もある?」
鈴音の問いに、
「当たり前じゃないですか、2号の分だけでいいのに、2個残ってるからやむなくですよ、やむなく。カチカチになる前に持っていってきます。」
と影井が返している。そのやり取りを俺は一人ぼんやりと聞いていた。
 
 食堂を出て庭に回り込んだ辺りで電話をかけると、2コール目で伊吹が出た。
「どうすか、歌詞の方、順調ですか?」
こちらからかけたのに、まずはそれを尋ねてくるのが伊吹らしい。
「まあ、ぼちぼちやってるよ。」
「頼みますよ、こっちは那覇の夏のイベントにぜひって話が出て、ニューアルバム引っ提げて出ますって言っちゃってますからね。」
遊びもせずにきちんと働いている。もうちょっとルーズで要領がよくてもいいぐらいだ、と毎度思ってしまう。
「ちょっと調べてほしいことがあるんだが。」
そう言うと、電話の向こうで伊吹がメモを開く気配がした。
「はい、どうぞ。」
「伊吹はテレキャピのドラマ班に知り合いがいたよな。」
想像と全然違う出だしだったのだろう、しばらく返事がなかった。
「・・・テレキャピっすか?いるっちゃいますけど、ブロッサムズが深夜ドラマの主題歌二回蹴られた縁なんで、楽しい間柄ではないです。」
まあ、そうだろうとは予想していた。結局その件以来テレキャピがらみの仕事はないし、こちら側から近づく理由もない。
「楽しくはないだろうが、テレキャピに今からいう男が在籍してるのかそいつに訊いてほしいんだ。名字はわからん。下の名は隼人らしいが、それも怪しい。今火曜九
「確かに何をやってるんだろうな。」
俺は何に首を突っ込もうとしているのだろう。いや、あいつが本当にテレキャピの人間だったら、桜木和馬がこんな時期にこんなところにいるとばれるのはまずい。スクープでもされたら、あることないこと広まってしまうだろう。だから、知りたいだけなのだ。そう自分に言い聞かせている。
「確かにそうなんだが、まあちょっと調べてくれよ。そんなに大変なことでもないだろ?」
伊吹はまたしばらく無言だったが、やがてくぐもった含み笑いのようなものを漏らした。
「わかりました。当たってみますから、変なことに巻き込まれたりしないでくださいよ。ともかく詞書きに集中してください。プレッシャーになったらあれですけど、ファンもバンドメンバーもスタッフも、みんなが待ってます。」
「あれだと思うなら言うなよ。」
俺は電話を切ると、ジャケットのポケットに入れていた芋餅を包みから出してかぶりつき、盛大にむせた。

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