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【小説】「ミスタ・サンセット・ゲストハウス!」第3話

 翌日も朝から部屋の机にかじりついていたが、やはり作業は進まない。過去の歌詞カードや創作ノートをベッドに広げたままうだうだと時間ばかりが経つ。窓に近づいて外を眺めやると、晴れた春の空と水平線。少しずつ濃さの違う青。サングラスをしない世界は色とりどりだ。せっかくだから一度ぐらいは浜辺に下りて鮮やかな青を感じてみようか。ギターケースを肩に提げて部屋を出る。庭で鈴音が植木に水をやっていたので、ちょっと出かけると伝える。
「お昼ご飯は食べますか?」
「ええと、そうだな、散歩しにいくだけだから、軽く作ってもらえるとありがたい。」
鈴音の行ってらっしゃーいという弾んだ声を後ろに、砂浜へ続く小道を進んだ。海沿いに歩道が伸びている。ひとけは全くなかった。適当に道を選んでしばらく歩くと、東屋のような場所があったので、古びたベンチに腰を下ろした。アコギを取り出してチューニングをすると、はからずもデビューするずっと前の歌が口をついて出た。それは中学生の頃に作った、自分でもとっくに忘れていた曲で、その歌詞は日本語だった。

この海の向こうにも僕の道は続いているのか
どちらでもいいよ この胸の中では続いているんだ 越えていくんだ

そうか、海が出てくるから今思い出したんだな、とサビでやっと気づいた。ガキっぽい歌詞だ。けれど気恥ずかしい感じはしない。当時作った歌を他にも思い出そうとしてみる。一つ思い出しては歌い、ジーンズの尻ポケットにねじ込んであったメモ帳に言葉を書き取る。そうしないと跡形もなく消えてしまいそうな怖さがあった。それら幼稚なメッセージが役に立つのかはわからない。ただ少しは外に出た意味があったかもしれないなどと考えつつ、懐かしさを感じながら弾き語りを続けた。

 出てくるだけの言葉を書き写して二階へ戻ると、突き当たりの、つまりは自分の部屋が開け放たれているのが眼に飛び込んできた。
虚を突かれ、慌てて廊下を進む。中では影井がしゃがんだ姿勢で掃除機のホースを肩に担いだまま、微動だにせずベッドの上の創作ノートを読んでいる。おいっ。咄嗟に声を上げ、広げたままにしていたノート類や歌詞カードを閉じていく。影井はあまりに集中していたせいか、すぐには何が起こったのかわからないみたいに眼をぱちくりさせていたが、やがて、あ、と叫んで立ち上がった。掃除機ががたがた鳴る。
「あ、あのすいません、掃除をね、しにきたんですよ。ここ一応ゲストハウスですからね、お客の外出時に掃除をするわけですよ、一般的に、で、」
胸の動悸が治まるのをしばらく待った。怒りはあるが、その矛先は相手ではなく自分に向けられている。息が静まると、俺はゆっくりと口を開いた。
「いや、これは俺が悪いんだ。広げたまま出ていったから。こんなものが広げてあったら誰でも見る。」
影井ははあっと息を吐き、心底ほっとしたようだった。それでも決まり悪そうに肩を落とした。掃除機のホースがその弾みで床にがたんと音を立てて落ちる。
「や、でもね。僕熟読しちゃってましたからね。穴があったら入れたいぐらいですよ、あ、逆か。」
苦笑するしかなかった。身体から先程の、高揚感に似た何かが薄れていく。もちろんこの男のせいではない。大昔に自分が書いた日本語の歌詞を思い出し、ちょっと調子に乗っただけのことだ。メモ帳に殴り書きした詞の断片も、今となっては馬鹿げた代物にしか思えない。深い溜め息を吐き出しながらベッドに腰掛けるが、影井が掃除の続きをするでもなく部屋を出ていくでもなく突っ立っていることに気づき、顔を上げる。
「まだ何かあるのか?」
出ていってほしいと暗に表現したつもりだったが、影井は深い悩みを抱えているような、もしくは腹が痛いような顔をしていた。かと思うと急に決然とした眼をこちらに向ける。
「それね、何で消しちゃってるんですか?そんなに線だらけだと解読するのにすごい時間かかったんですよ、今。せめて二本線ぐらいでお願いしたいんですよ。真ん中辺にぐちゃぐちゃに消してあった、遠い記憶、碧い記憶、すべての未来が詰まってたって、めちゃくちゃ泣けるじゃないですか。」
かあっと身体が熱くなるのがわかった。怒りではない。無論、熟読にもほどがある、という感情はあったが、それより先に羞恥が全身を覆った。日記を盗み読みされ、さらには音読されたような感覚。あまりにこっ恥ずかしい日本語の羅列。
「適当なことを言うな。」
嘲笑することで自分を保とうとしている。
「素人ならまだしも俺は一応プロだ。そんな屁みたいな歌詞じゃお話にならないよ。もし俺を慰めようとかそういう気持ちなら、ある種、迷惑だ。悪いが、」
言葉が終わらない内に相手が眼を怒らせ、激しく言い返してきたので驚いた。
「ちょ、ちょっと、それこっちの方が迷惑ですよ。誰が慰めてるんですか。何でそんな面倒臭いことしなきゃならないんですか。僕はその一節に感動したって言ってるわけですよ。お客さんプロでもそれ聴くの素人でしょうが。素人の僕が感動してるのに何が屁なんですか!大体昔の文豪とかも、自分でいいと思ってたのが屁みたいな代物で、屁と思ってたのがあとからどこぞの素人に発掘されて珠玉の名作とか言われるわけですよ。だからボツにするでもせめて二本線で消してほしいわけですよ。そのまま解読できずに埋もれたら、もう海の藻屑ですよ。海底に沈んで世界の誰も二度と思いつかないんですよ!」
言葉を大量にぶつけられて、意味より先にまず勢いに気圧されてしまった。なぜこの男が怒りを、これは間違いなく怒りだろう、ぶつけてくる必要があるのか、俺にはさっぱりわからない。そこへ喋っている内容がボディーブローのように押し寄せてくる。
「せ、世界は大袈裟だな。」
やっとのことで口を開く。影井はむっすりした顔で俺を見ている。
「所詮、日本だ。俺等はちっぽけな島国の、さらにちっぽけな音楽マーケットで仕事をしてる。そこへ日本語の歌詞だ。日本人なら誰にでも意味がとれる。それだけに深い表現を必要とされる。」
なぜ辺鄙な宿の変人オーナーにこんな話をしているのだ。それが頭をかすめる間もなく、影井が言葉のジャブを繰り出してくる。
「だから何をごちゃごちゃ言ってるんですか。島国とかマーケットとかの話じゃないんですよ。文学とか無形文化遺産とかの話なんですよ。詞にナニ語もクソもないんですよ。どっちが高尚とかないんですよ。僕は日本人なんで偏見ありありの日本語至上主義ですからね、日本語擁護派、日本語万歳派ですよ。日本人なんですから日本語の歌聴いて涙するわけですよ。英語圏の人は英語の歌で涙して、ポルトガル人はポルトガル語の歌で涙して、マダガスカルの人はマダガスカル語の歌で涙すればいいんですよ。でも、僕の言いたいことはそんなんじゃないんです!」
呼吸を乱し肩で息をしながら、掃除機を担ぎ直して影井は出ていった。自分の言っていることが自分でわからなくなったようだった。こんなに頭ごなしにがみがみ言われたのは、考えてみれば随分久しぶりだ。不思議と苛立ちはやってこなかった。デビュー当時の、偉い人たちによく怒られていた頃の感覚がふいに蘇り、その感情の波に翻弄されそうになっていると、伊吹から着信があった。

 「なかなかのタイミングだな。」
「タイミング一つでオスマントルコの歴史も変わったっす。」
よくわからない返しをしてくる。俺が言葉を続けられずにいると、伊吹は気にする様子もなく用件を話し出した。
 「例のテレキャピの件ですけど、結論から言うと、あの写真の男、在籍してました。」
「してたのか?」
「ええ。ただし過去の話です。名前は大岸隼人。制作部ではなく営業職だったらしいですが、番組制作に関わってるような口ぶりでブイブイいわせてたみたいっす。トラブルを起こして二、三年前に退社、今は小さなプロダクションで営業してるらしい、と。どこの会社かまではわかりませんでした。もう少し時間があれば掴めると思いますけど。」
「いや、今テレキャピにいないことがわかれば充分だよ、ありがとう。」
伊吹が、え、というような声を発したので何かと思った。しばらく間があって、伊吹の照れくさそうな声が聞こえてくる。
「ああ、いや、全然っす。また何かあればいくらでも言ってください。調べますんで。」
なぜ嬉しそうに声を弾ませているのか、わからなかった。
「何だ、おかしなことでも言ったか?」
「・・・いや、違うっす。ただ、桜木さんにありがとうって言われたの、俺、初めてだったんで、びっくりしただけです。」
俺はショックを受け、しばらく呆然としてしまった。俺は礼も言わないような人間だったろうか。いつからそんな横暴になっていたのだろうか。自分がひどく遠い島まで流されてきたような心地がして、奇妙に心細かった。

     ☆

〈Hop Step Chips a-ya-ya! Everything is all right!〉
「今日最後の曲は、ポテトチップスのCMがまだまだ話題沸騰のブルックリン・ブロッサムズ『Hop Step Chips』でしたー!また来週!」
ガラス張りの向こうのブースで番組が終わり、女性のDJが慌てて席を立った。 那覇市内のコミュニティFMに来ている。ブロッサムズがまだほとんど無名だった頃から曲をかけてくれている、と噂には聞いていたのだが、今回初めて来ることができた。聞くところによると、この女性が大層バンドを気に入って、それでよく流してくれているという。
「お待たせしました。DJのジャンヌ・平良ひららです。」
「あ、いえ、こちらこそお時間をいただいてすみません。ブルックリン・ブロッサムズのマネージャーの伊吹と言います。」
ぺこりとお辞儀をして顔を上げると、そこにいたのは眩暈を起こして倒れてもおかしくないほど超ド級の美人だった。

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