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40代、50代働き盛りに活動意欲を貰う

9月17日〜19日の三連休を利用して実家に帰省していた。
いつも地元に帰ると最寄駅の飲み屋に店長と話をするために軽く飲みに行っている。

自分の性格上、誰かと会話をすることで何か行動する意欲を貰うことが多く、話を聞くのも話すのも比較的好きな方ではある。
自分は真面目な正確なため、話す内容によっては話についていけなくなることもあるが、基本的には話を聞くことは好きである。

この日は、店長の他に男性が3名Aさん、Bさん、Cさん、女性が1名Dさんがカウンターに座って話をしていたので、自分もカウンターに座ってハイボールを飲むことにした。

Aさんはどこで働いているかわからないが会社員をしており、Bさんは大手コーヒーメーカーで部長を行なっており、Cさんはガールズバーを3店舗経営しており、Dさんはもつ鍋屋の女性店長を行なっている。
マスターを含め、男性は全員45歳くらいでもつ鍋屋の女性店長が50歳くらいである。ちなみに自分は30代前半の営業職の一般会社員である。

キャラの濃い人の周りにはキャラの濃い人が集まるものだと感心するほど、みんなそれぞれ仕事での面白そうな経験を持っている雰囲気がある。

まずは、Bさんは大手コーヒーメーカーの部長を行なっているため、海外勤務の可能性もあるようで、働く市場を海外に向けており、海外勤務の可能性があることで話が盛り上がっていた。ちなみにBさんが働く会社は世界で初めて缶コーヒーを作った会社だとDさんが話していた。さすが女性で料理屋さんの店長をしているだけあって、色んな豆知識を知っているものだなと感心した。

次にCさんであるが、AさんBさんがガールズバーの常連客であるのだがそのガールズバーの飲み代が高いと怒られていた。
近年の物価や海外輸送費が高騰していることからシャンパンの金額も上がっており、提供金額についても上がっていると説明していた。
詳しい種類は覚えていないがMOEのシャンパンの仕入れが12,000円から18,000円に上がり、今までの金額で提供していると赤字になると必死に説明していた。

ここまでの話だけだと、ガールズバーで女の子と一緒にお酒を飲んでしょうもない話をしているような汚いおじさんが客に飲み代が高いと嫌味を言われているダサい男性に映ってしまうと思う。
しかし、Cさんも行動力に溢れており、20年ほど前はニューヨークに住んで、個人事業主として現地の洋服を日本に卸していたのだ。個人事業主での海外品の服の卸業は、初めの買付から販売先まで全てを何もないゼロの状態から自分で営業しなければならないのでかなり大変である。
大きな商社であれば流通網で様々なコネクションを持っており、システムが完成されているので容易にできるようである。

この仕事も大変ではあったが若い頃は楽しかったと話していた。
何でやめたのか聞くとCさんの好きな服の好みが変わってしまったからだと返答があった。当時は、高級ブランドはヨーロッパに多く、アメリカの服は若い頃は良かったが年をとるごとにCさんの好みと異なってしまったようだ。

これまで酒飲みのおじさんに見えていたが、20年前のニューヨークに1人で旅立ち英語を使って営業して自分の好きな服を日本に卸していた。20年前と言えば、スマートフォンなど無い時代である。そして、生活に困らずに暮らしていたと聞くとめちゃくちゃカッコ良いおじさんに見えた。
そもそも考えてみるとガールズバーと言えども3店舗を所持してそれなりの利益を出せるように経営するにはセンスが無ければできないだろう。
何でガールズバーの経営にしたかという理由についても、お酒は腐らず日持ちするから女の子さえ準備すればできるだろうと考え始めたようだ。
そのように話を聞くと賞味期限のあるものを取扱う飲食店と比べてリスクが低いことと、自分の営業力を掛け合わせて考えた結果のようである。

ここまでの話で、やっぱり昭和の時代に生まれたおじさんも人生を楽しいでおり、活力に溢れている人が多いのかなと実感した。
そして、おじさんたちは女の子を求めて更なる夜の街に出かけて行った。

残った自分と店長とDさんで少し話をしたが、Dさんも紆余曲折な人生があり、もつ鍋屋を開いたと話していた。
もつ鍋屋を開く前は、銀行員をしており、元旦那にあたる人とその銀行で出会って寿退社で専業主婦を行なっていた。男の子が生まれて、しばらくしてから元旦那との生活が上手くいかなくなって離婚してからかなり大変な人生を過ごしたようだ。
それまで専業主婦で、のほほんと幸せに料理や洗濯を行なっていたところからいくつもの仕事を掛け持ちして生活費を稼ぐことになった。
もつ鍋屋を開業してからもしばらくは掛け持ちで仕事をして、これほど大変なことはなかったと話していた。

「自分の嫁は公務員をしており、公務員って仕事内容は本当に楽しくないだろうなって思います」と話したら、それで安定してお金を貰えるんだから感謝しなさいと怒られた。銀行員だって、その時代はお金を数えているだけの楽しくない仕事だったけど、それで1,000万円の給料が貰えて、すごく有り難かったと話していて、言葉に深みがあった。

改めて、地元の飲み屋さんでこんなに行動力のある人たちと出会えて話ができるってのも面白いことだなと実感した。

この後も、Dさんにお酒をご馳走になり、読売ジャイアンツの話を延々と聞くことができ楽しかった。
ちなみにDさんは読売ジャイアンツファンとしてはかなりレベルの高い人で、原監督や江川卓、あのミスター長嶋ともお酒を飲みに行った仲である。
そんな人からジャイアンツの話を色々と聞けるのは、ジャイアンツファンでなくともかなり面白く聞くことができた。

ちなみにこのお店のある私の実家の最寄り駅は関西であり、頑張れば自転車で甲子園球場まで辿り着けるところにある。

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