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自分の限界を超えようとしないのは自分に対する冒涜じゃないか?

1週間ばかり東京を離れ、SNSから距離を置き、好きな本を読み、自然に触れ、美味しいものを食べ、海辺を車で走り、心ゆくまで眠り、東京に帰ってきた私の感想は


「こんなことしてる場合じゃない」だった。

世の中には「自分の世界を広げたい人間」とそうじゃない人間がいる。私はいつの間にか、すっかり前者になってしまった。そして後者に対する理解を忘れてしまったようだ。閉ざされた世界で、よく知る人たちと善意しかない輪の中で生活を共にし、毎日安心して眠るような、そんな生活に落ち着くのはまだ早いと、体の奥から沸々とエネルギーが湧き上がってくるような体になってしまった。

旅行を終えてから、四六時中、ずっとYouTubeを聴いたり、Podcastを聴いている。移動中も、筋トレ中も、掃除中も。

きっかけは自分で興した会社を売却し100億円ほど資産がある方のYouTubeだった。その動画では「あなたは本気を出していますか?昔ね、取材に来た記者に私聞いたんですよ。あなたはこの仕事で本気を出したことはありますか?って」というシーンがあった。

「そしたらね、その記者の人はこう言ったの。”いやー、ないですね”って」

「そんなのさ、ありえないよね。本気、出しなよ。本気出さないと結果なんて出ないよ。当たり前じゃん。」

私は猛省した。自分は今、本気を出しているのか?と。社会人も2年目になり、仕事の勝手が分かってきた。要するに、手の抜きどころが掴めてきたというわけだ。残業もそこまでせず、トイレに行く暇がないほど忙しいということもなく、同じ社会人2年目と比べるとかなり高い給料が貰えている。浪費癖もなく、たまに友達と客単価1-2万円くらいのご飯を食べに行き、旅行に行くくらいしか、出費という出費もない。経済的に自立した不自由のない生活が、ほぼノンストレスで手に入ってしまった。確かにそれは素晴らしいことだ。これこそ、かつての僕が憧れていた、それなりに自由で、お金を理由にやりたいことを諦めない生活ではないか。

ただ、まだ余力がある。

まだ頑張れる。そのことから目を背けていたのだと思う。仕事に本気か?そうじゃない。寝る魔を惜しんで情報を集めているか?そうじゃない。誰も考えたことない、新しいアイデアを生み出すために脳みそが絞り切れるくらい考えているか?そうじゃない。

要するに、怠惰だったわけだ。現状に甘えて、ベストを尽くさない。もっと頑張れる余力があるのに、だ。

そんな現状を打破するべく、移動中も、筋トレ中も、掃除中も暇さえあれば耳から情報を仕入れ、目が余っていれば動画を見て、本を読み、手も余っていればひたすらPCで調べるようにした。暇という暇を情報と創造で埋めるのだ。

本気を出すのだ、と。私は25歳で、まだ若い。エネルギーがある。まだまだできる。余力があるのに、自分の限界を超えようとしないのは、自分に対する冒涜じゃないか?と、少なくとも私は思う。短い動画だったが、忘れかけていた闘争心が呼び覚まされた。

創造的な人生の持ち時間は10年だ。
設計家も芸術家も同じだ。
君の10年を力を尽くして生きなさい。

このセリフは私の愛するスタジオジブリの「風立ちぬ」のワンシーンだ。私の創造的な人生の10年間が、大学に入った20歳の頃から始まったとすると、残りはあと5年だ。もちろんその先も私の創造的な人生は続くと信じているが、まずは最初の10年で何か結果を残さないと、次はないのかも知れない。

「風立ちぬ」という素晴らしい映画は、私を奮い立たせる劇薬のような効果を持つのと同時に、創造的な人生の残り時間はあとこれしかないと、定期的に私の肩を叩きにくる、呪いでもあるのかも知れない。

本気を出して、頑張る。難しいことは考えなくていい。やるべきことはシンプルに、本気を出す、それだけである。



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