質問への余計な回答は人を混乱させる

メリークリスマス!は終わりまして、もう年の瀬ですね。
2017年はどうお過ごしでしたか。私はいつものように波乱万丈を生き抜いてます。

先日ちょっと気になった話。
この前外国人の方にお店の場所を聞かれて、友人の回答に外国人の方が不思議な顔をしていたことが気になった。間違ってはいない。

外国人Aさん「●●(地名)のドンキはどこですか?」
私「●●(地名)のドンキはここをまっすぐ行って〜・・・(以下略)」

で終わるはずだったが、なにを思ったのか友人が
友人「ドンキ、すぐそこにあるやん!●●(地名)じゃなくてそこにあるよ!あっちより近くのドンキのほうがいいよ!」
と。確かに、ドンキは100メートル先にある。

「●●(地名)ドンキはどこですか?」

と聞いている。ここで思ったのは、友人はよかれと思って、近くで便利なドンキを案内したのだが、外国人Aさんは別の場所のドンキに行きたいのだ。だから友人の回答に外国人Aさんは「は?何言ってんの?」という顔をしていた。
しかもその回答の言い方がかなりの勢いで言ったので、ビックリしていたようだった。

よかれと思って言ったことって、相手を混乱させるな〜ということを実感した日常の一コマ。
これは「人に教える」とか「伝える」ということでディレクションしていて重要だな〜と思った。教えるのがうまい人って、余計なことを言わない。
私もわからないことを質問したときに「私が聞いてるのはそこ(余計な情報)じゃないのにな〜」と多々感じることがある。その場合、自分の頭の中で、瞬時に精査が必要で、余計なものを排除しながら話を聞く。

ってちょっとめんどいよね。

教えている本人は、おそらく自分の知ってる知識を全部言いたい。特にプライドが高い人であれば。自分が知っているってことを同時に知ってもらいたいから。でも聞いてる人にとっては相手のプライドなんて知らない。知りたいことを教えてくれさえいいのだ。

今回は外国人の方だったため、すごい混乱しているのが表情から伺えた。よかれと思ってすることとか、教えることにもほどほどに。。。というのを実感した。

これが具体的な提案を望んでいるというのならまた話は別。
「いちばん品揃えが豊富なドンキを教えてください」であればまた違う回答があるだろう。

そういえば、質問の先を読むタイプの回答をする人もいる。
私「デザイナーさん紹介してもらえませんか?」
Bさん「この人コーディングとかシステムしないから合わないと思いますよ」

まだコーディング依頼するって言ってませんけど?とは思ったけど、Bさんの中でwebを一括して依頼するって勝手にはやとちりをしたようだ。
これもまた人を混乱させる上に、コミュニケーションがとれてない。

こういう回答する人はおそらくコミュニケーションがうまくいかないことが多いんだろうな〜って感じた。よくよく考えてみれば、そういうことが多かったから。すべて勘違い。勘違いしまくりで、そうじゃなくてと言えなくなって、関わるのさえ、めんどくさくなってしまった。
おそらくまわりの人はみんなそれが言えない人が多いようで、疎遠なっている人も多いと聞く。

やっぱりキャッチボールがきちんとできるコミュニケーションできる人と仕事したいなと思った、年の瀬でした。

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