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【言葉】の【意味】、【体験】の【重み】(第8回)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。

 私、このところ【説教】つまり【言葉】(【直言】)と【上質な物語】、その違いの間に【存在】するはずの【説得力】というものについて【考察】を巡らせております。

 【言葉】は“極限まで【簡略化】されている【媒体】”で、その【背景】があって【手軽】に扱えるものです。が、ゆえにこそ逆に損なわれるものもありますね。その【言葉】そのものを“【事実】と【認識】する【根拠】”は、その一つというわけです。

 その上で、【説得力】つまりは“【事実】と【認識】する【根拠】”の在処は――と【考察】しますと、『【説得力】の宿る【主体】は【体験】』というところへと至ります。

 ここで、“【説得力】の源”として機能する【存在】を、『最初から【存在】するもの』ではなく、『“【観客】からの【信頼】”によって生まれるもの』と捉えてみれば、“【説得力】としての【リアリティ】”に関しても見えてくるものがありますね。

 こと【信頼】を念頭に置くなら、【観客】に【尊重】されたいなら、【作者】およびその【作品】としてまず【観客】を【尊重】せねば始まらない――というのが、私の【持論】です。

 【思考の自由】に対する【尊重】に始まり、実は【作者】のこの“【観客】を【尊重】する【姿勢】”にこそ【信頼】が集まるというわけです。もちろん【大前提】として、【作者】は【作品】に【全力】を尽くす、つまり【手抜き】はご法度ということになりますが。

 そしてこの“【作者】への【信頼】”を足場として、さらに【表現】に対して(今度は『【無知】ではない』という方面で)“【信頼】という【説得力】”を【獲得】していくことになる――という、これは私の【考察】ですが。

 【観客】一人一人が持つ“【信頼】の【根拠】”というものを考えてみれば、つまりは『“【信頼】の【根拠】”に符合し得る【情報量】』をいかに多く仕込むか、というところに“【説得力】を築く足場”が見えてくるものですね。

 ここで【観客】が持つ“【信頼】の【根拠】”の在処にしても、また【情報量】を稼ぐ上で有利なのも、実は【体験】です。

 ならば“【体験】という形式”こそが、【観客】に“【信頼】の【根拠】”を【提示】するのに極めて【有利】な【表現】――という【仮説】が成り立つわけですね。

 この【気付き】を踏まえて、前回は“【信頼】の【根拠】”により踏み込んで【考察】を巡らせてみました。

 『【作品】として【提示】する【情報】の形としては、【体験】が最も【有利】なもの』とする、その【背景】はつまりこういうことです。
 【体験】として描かれる“【現象】の【現場】”には、それこそ【現実】に通ずる“【信頼】の【根拠】”が(水面下の【事実関係】として)【最大限】に含まれる――という。これは【フィクション】であっても変わりません。もちろん【前提】として、【現実】に準じた【事実関係】を【体験】に織り込んでおく必要はあるわけですが。
 ただし手間をかけた分だけ、【観客】には“【嘘】に【存在】しないもの”を認めてもらいやすくなる、言い換えれば【信頼】してもらえる【可能性】は高まるわけですね。

 今回はこれを受けて、【体験】として“【現象】の【現場】”を作り込む、その際の【作者】の【姿勢】について触れてみましょう。

 ◇

 さて、ここで。
 『“【説得力】の源”は【信頼】』という【視点】を持ってみると、また観えてくるものがあります。

 そも【信頼】は、“【嘘】のない【事実】”を黙々と積み上げて築いていくものです。
 これを【発展】させるに、“【説得力】という【信頼】”を得ようとするなら、やるべきことは『“【信頼】の【根拠】”を黙々と【積み上げる】こと』、ということになります。

 『黙々と』というところに反発する向きも、私としては【予想】するところです。「黙っていたら、【相手】に【認識】してもらえないじゃないか!」と。

 ですが『直接的に【積み上げ】をアピールする【姿勢】』は、私はむしろ【逆効果】と捉えております。その【理由】は単純、『「アピールしていないところでは【積み上げ】ていない」という“マイナスのアピール”になるから』です。

 「は?」と眉をひそめる方もおいででしょう。「その考え方って、ひねくれてない?」と。

 実はこの考え方の【背景】には、大変【深刻】な【根拠】が【存在】します。このアピールが【信頼】に関わるものであることに、その【根拠】は由来しています。

 かくも【深刻】な【根拠】なるものは、『少しの【事実】で手っ取り早く【信頼】させようとする【悪意】』が、【現実】において少なからず【存在】するから――というものです。もちろんそれだけで終わるものではありません。

 その【悪意】は、言うなれば“浅はかな【小悪党】”と同じ【考え方】に由来するものです。

 つまりは『「【相手】を【騙して加害】しよう」とする“【悪意】ある【考え方】”』に由来するわけですが。この【背景】をもう少し詳しく申せば『手っ取り早く【信頼】をでっち上げようとする【姿勢】』が、往々にして『【相手】を【騙して加害】するための【仕込み】』に由来するからです。

 もちろん、ここで“浅はかな【小悪党】”がでっち上げたがるのは、“本物の【信頼】”ではありません。【相手】を【騙す】ことを【前提】とした【仕込み】、いわば“偽りの【信頼】”です。

 彼ら“浅はかな【小悪党】”は、『手間を最小限に留めて、手っ取り早く“偽りの【信頼】”をでっち上げて【騙す】ほど、【効率がいい】』と考えているわけです。実際、そのような【事例】は枚挙に暇がありません。

 そして、そのような【悪意】に引っかかった【経験】を持つ人が『手っ取り早く【信頼】を【獲得】しようとする【姿勢】』を疑うようになったとして、私は不思議に思いません。

 そこで、私から伺います――“浅はかな【小悪党】”と、同列に見られたいですか?

 答えが『No』ならば、つまりはそれが『手っ取り早い【積み上げ】』を嫌う【理由】であり、従って『「直接的に【積み上げ】をアピールする【姿勢】」を、私が【逆効果】と捉える【理由】』です。

 ◇

 さて、今回は一旦ここまで。

 自他の【思考の自由】を【尊重】し、かつ【観客】が持つ“【信頼】の【根拠】”と【作品】内の【事実関係】を符合させ――と、一見して回りくどいやり方にこだわる【背景】には、一つには“浅はかな【小悪党】”との間に明確な線引きを試みる【姿勢】があるわけです。

 実はこの【姿勢】、私が【攻略法】とされるものに対して懐疑的である【理由】とも重なります。

 次回はこの辺りについてお話ししてみましょう。

 よろしければまたお付き合い下さいませ。

 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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