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【言葉】の【意味】、【体験】の【重み】(第9回)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。

 私、このところ【説教】つまり【言葉】(【直言】)と【上質な物語】、その違いの間に【存在】するはずの【説得力】というものについて【考察】を巡らせております。

 【言葉】は“極限まで【簡略化】されている【媒体】”で、その【背景】があって【手軽】に扱えるものです。が、ゆえにこそ逆に損なわれるものもありますね。その【言葉】そのものを“【事実】と【認識】する【根拠】”は、その一つというわけです。

 その上で、【説得力】つまりは“【事実】と【認識】する【根拠】”の在処は――と【考察】しますと、『【説得力】の宿る【主体】は【体験】』というところへと至ります。

 ここで、“【説得力】の源”として機能する【存在】を、『最初から【存在】するもの』ではなく、『“【観客】からの【信頼】”によって生まれるもの』と捉えてみれば、“【説得力】としての【リアリティ】”に関しても見えてくるものがありますね。

 こと【信頼】を念頭に置くなら、【観客】に【尊重】されたいなら、【作者】およびその【作品】としてまず【観客】を【尊重】せねば始まらない――というのが、私の【持論】です。

 【思考の自由】に対する【尊重】に始まり、実は【作者】のこの“【観客】を【尊重】する【姿勢】”にこそ【信頼】が集まるというわけです。もちろん【大前提】として、【作者】は【作品】に【全力】を尽くす、つまり【手抜き】はご法度ということになりますが。

 そしてこの“【作者】への【信頼】”を足場として、さらに【表現】に対して(今度は『【無知】ではない』という方面で)“【信頼】という【説得力】”を【獲得】していくことになる――という、これは私の【考察】ですが。

 【観客】一人一人が持つ“【信頼】の【根拠】”というものを考えてみれば、つまりは『“【信頼】の【根拠】”に符合し得る【情報量】』をいかに多く仕込むか、というところに“【説得力】を築く足場”が見えてくるものですね。

 ここで【観客】が持つ“【信頼】の【根拠】”の在処にしても、また【情報量】を稼ぐ上で有利なのも、実は【体験】です。

 ならば“【体験】という形式”こそが、【観客】に“【信頼】の【根拠】”を【提示】するのに極めて【有利】な【表現】――という【仮説】が成り立つわけですね。

 【体験】として描かれる“【現象】の【現場】”には、それこそ【現実】に通ずる“【信頼】の【根拠】”が(水面下の【事実関係】として)【最大限】に含まれる――という。これは【フィクション】であっても変わりません(もちろん、【現実】に準じた【事実関係】を【体験】に織り込んでおく必要は有りますが)。
 この手間をかけた分だけ、【観客】には“【嘘】に【存在】しないもの”を認めてもらいやすくなる、言い換えれば【信頼】してもらえる【可能性】は高まるわけですね。

 前回はこれを受けて、【体験】として“【現象】の【現場】”を作り込む、その際の【作者】の【姿勢】について触れてみました。

 自他の【思考の自由】を【尊重】し、かつ【観客】が持つ“【信頼】の【根拠】”と【作品】内の【事実関係】を符合させ――と、一見して回りくどいやり方にこだわる【背景】には、一つには“浅はかな【小悪党】”との間に明確な線引きを試みる【姿勢】があるわけです。

 実はこの【姿勢】、私が【攻略法】とされるものに対して懐疑的である【理由】とも重なります。

 今回はこの辺りについてお話ししてみましょう。

 ◇

 さて、ここで。
 “【攻略法】とされる【言葉】”は、ただでさえ『手っ取り早く“【説得力】の源”である【信頼】を【獲得】しようとする【姿勢】』というものを【具体化】したものです。
 しかも“【攻略法】としてありふれた【言葉】や【手法】”でもありますから、“【攻略法】を公然と使おうとする【姿勢】”自体が『手っ取り早く“【説得力】の源”である【信頼】を【獲得】しようとする【姿勢】の現れ』と【判断】され【警戒】されたところで、私は不思議に思いません。

 つまり【攻略法】は、“【信頼】を築く上で【逆効果】となる【リスク】”を、【根源的】に【覚悟】せねばならないわけです。

 また先述の通り、『直接的に【積み上げ】をアピールする【姿勢】』を【警戒】する【傾向】は、実際に【騙された経験】や、【騙されかかった経験】を持つ人ほど【顕著】になるのが道理です。そして【経験】が豊かな人ほど、“浅はかな【小悪党】”に出会って【教訓】を得た【可能性】は高まります。
 つまり言い方を変えると、『【経験】を豊かに持つ人ほど、「手っ取り早く【信頼】を【獲得】しようとする【姿勢】」をより【警戒】する【傾向】が【顕著】になっていく』ことになりますね。

 ここで同時に、【経験】とは“【観察眼】や【審美眼】の源”ともなるものです。つまり【傾向】としては、『より豊かな【経験】を通じて、“より豊かな【観察眼】および【審美眼】を持つ人”ほど、“【攻略法】の手っとり早さ”に“浅はかな【小悪党】”の【悪意】を観て取って【警戒心】を抱きやすい』ということになるわけです。
 しかも『この【傾向】は、【攻略法】の中でも、「より大きな【信頼】を手っ取り早く【獲得】しやすい」とされているものほど、より【顕著】に現れる』ことになります。

 詰まるところ、『「“より確かな観る眼を持つ人”ほど、【攻略法】にはより強く【警戒】する【傾向】を示す」上に、なおかつ「より大きな【信頼】を手っ取り早く【獲得】しやすい」とされている【攻略法】ほど、【警戒】はより強くなりやすい』というわけです。

 要は【攻略法】は自らマイナス・スタートを選ぶに等しく、しかも「【効果】が大きい」とされている【攻略法】ほど、さらに【相手】が“観る眼のある【観客】”であるほど、マイナスの度は厳しくなる――という【傾向】が【予測】されるというわけです。

 これ、単なる【予測】に留まらないところも【観測】できるもので。

 実際のところ、【大前提】として“【攻略法】とされる【言葉】”が表すものの【情報量】は、“【信頼】の【根拠】とする【事実】”としては圧倒的に少ないわけですが。
 さらにこれが“マイナスと【判断】される【根拠】”にまで至るには、これに加えてマイナスの【積み上げ】が【背景】にあるものです。

 そも【攻略法】に公然と飛び付くからには、その【作者】は『“より【効率】よく”、身も蓋もなく言えば“より【安易】に”、“【信頼】を【獲得】しようとする【姿勢】”の持ち主』なわけです。

 であれば、“【効率】を求める【安易】さ”は『“【攻略法】が【有効】とされる【背景】”というものを【理解】する、それだけの【手間】を惜しむ【姿勢】』と繋がりやすいわけです。さらにそこから【推測】すれば、『“【攻略法】とされる【言葉】”の用い方一つで、当の【作者】の底は割れる』ということにもなります。

 【具体的】には、例えばこういうことです。
 『“【攻略法】とされている類の【言葉】”が単にポン置きされているだけでしかなく、【信頼】を【獲得】するに足る【工夫】がその周辺に見当たらない』という【状態】であれば、さて【観客】はどう捉えるでしょうか。

 “より豊かな【観察眼】および【審美眼】を持つ【観客】”は、“より豊かな【経験】”に基づき、“浅はかな【小悪党】”の【手口】を【連想】する【可能性】が、相応に高いわけです。
 であれば【作者】に対する【判断】は『【高確率】で「“手っ取り早く【信頼】を【獲得】しようとする【姿勢】”の持ち主」』とされやすくなるでしょうね。

 もちろん【事例】一つで【判断】されるとは限らないにしても。
 そういった“マイナスの【印象】を招く【事例】”の【数】や【配置】によっては、『この【作者】は、【観客】に【悪意】を抱いている“浅はかな【小悪党】”』という【判断】を下されることすら、充分にあり得ます。

 一旦まとめますと。
 『“【観客】から【信頼】を【獲得】するためのやり方”が【安易】であるほど、またそれで“【獲得】しようとする【信頼】つまり【説得力】が大きい”ほど、“観る眼を持つ【観客】”には見放されやすい』という、これは私の【考察】というわけです。

 なので【攻略法】だけで『【説得力】=【信頼】』を【獲得】した気になっていると、その薄っぺらさに「こんな【観客】チョロいぜ!」という【作者】の【メッセージ】を、【行間】に観て醒める【観客】もいる――ということです。少なくとも“【観客】としての【自分】”には、そういう【傾向】がありますね。

 ◇

 さて、今回は一旦ここまで。

 “浅はかな【小悪党】”と同列視されたいのならばともかく、として。
 “【信頼】としての【説得力】”を【獲得】したいなら。さらには“より豊かな【観察眼】および【審美眼】を持つ【観客】”から、より大きな【信頼】を【獲得】したいなら。言い換えれば【影響力】を備えた【支持】を受けたいなら。
 “浅はかな【小悪党】”の手口に重なって映りかねないやり方には、もはや【危険】しかないわけです。

 その点、“【攻略法】とされる【言葉】”を使うということは、『手っ取り早く“【説得力】の源”である【信頼】を【獲得】しようとする【姿勢】の現れ』、言い換えれば『“浅はかな【小悪党】”の手口』という【判断】と【警戒】を招きやすいものです。

 よく、“【攻略法】の手っとり早さ”に【効率】を結び付けて語られる【場面】を目撃しますが。

 本来【効率】とは『投入した【コスト】(時間、労力、資金など)に対する、【効果】の割合』です。その上で、『【効果】がそもそも見込みにくい、得られたとしても小粒なものしか見込めないやり方』であれば、【期待】する【効果】のほどは絶望的に乏しいことになるはずです。
 つまり【効率】の面から見ても、“浅はかな【小悪党】”の手口に重なる、そう疑われやすいやり方は悪手になりやすい――と、そういうことになりますね。

 そう考えてみると、今度は【作品】から【作者】の器、その大きさまでもが覗いてくることにもなりそうです。

 次回は、この点について【考察】を巡らせてみましょう。

 よろしければまたお付き合い下さいませ。

 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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