ご報告

 昨日、報告させていただきました私のweb連載「神保町バブル戦争」をアップしているサーバーから、再度検討するという返答がきて、ひとまず本日の記事削除は無くなりました。
 これからnoteでも頻度を上げて新事実を公表していきたいと思っていますが、私の活動を支持してくれている叔父であり嘉悦学園の元理事長・嘉悦克先生が亡くなり、本日お通夜、明日告別式のためなかなか時間がとれません。そこで今日は嘉悦先生の思い出を少し。

 嘉悦克さんは私の叔母(父の姉)佳代の嫁ぎ先であり、社会的地位がありながら気さくな性格で親族からの信頼がありました。ところが下野順一郎と母・怜子は「美成社」再建のためと称し嘉悦先生を利用するだけ利用した後に、「あいつは敵だ」と言って攻撃をし始めました。何かしらの弱みを握ろうとし、探偵に調査を依頼した場面を僕は目撃しています。そして、私は35年以上前に中村家の親族と強制的に縁を切らされます(その際に私の名前を語った手紙を、母と下野が親族に出しています。私文書偽造以外の何物でもありません)。

 やっと親族と再開できたのは25年ほど経ってから。それからはできる限り一緒に過ごす時間を設けていましたが、コロナ以降お会いできないまま旅立ってしまいました。ただそれまでは、当時、母が実家から代表権を奪うための工作活動の実態など当時の話を色々と語ってくれました。当時、代表権は祖母・はついにありました。ある日、中村家の親族が弁護士に呼び出されたときに、なぜか祖母だけが、下野順一郎と河合弘之弁護士から他の親族よりも30分前に呼び出されました。その間に高齢であるはついを弁護士と怜子らが取り囲み、母を共同代表とする書面に強引に捺印させたというのです。嘉悦先生はよく「あの30分ですべてが決まった。それからはあいつら(下野順一郎と中村怜子、および河合弘之弁護士)の思うままになってしまった」と悔しげに当時を思い返していました。

 最後に、「神保町バブル戦争」に掲載した嘉悦さんのエピソードです。

「嘉悦克さんの親族である嘉悦義人氏は、横井英樹襲撃事件の際に安藤昇を一時匿っていた方で、安藤昇の著書にもそのエピソードが書かれています。嘉悦克さんもまた大学生の時に、義人氏に安藤組の事務所に連れて行ってもらったことがあるそう。義人氏から安藤組の人たちに「これは俺の甥っ子だ。渋谷で何かあったら面倒見てやってくれ」と紹介してもらい、その後、実際に何度か安藤昇とゴルフをしに行ったらしい。真っ白なゴルフウェアをビシッと決めていて、それはそれはカッコ良かったという。」

 さて、そろそろお通夜に向かいます。一人一人親族が亡くなっていきます。早くこの問題を解決し、残された叔母二人が健在なうちに報告したいと思っています。

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