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自己紹介

はじめまして。中村元癸(なかむら げんき)と申します。

この度、noteを始めることにしました。


たまー・・・に、投稿したいなと思います。


はじめての方に向けて、まずは長々と自己紹介をさせていただきます。

プロフィール

中村元癸(なかむら げんき)
奈良県生まれ。北海道札幌市在住(最近京都によくいる)

☸ 仏教徒
☸ ふつうのお坊さん。

本業の傍ら、オルタナティブ教育の会員制コミュニティGAKKOU元副校長・現相談役。GAKKOUの先生。DPT開発者。スポーツインストラクター。

【一人称は僕 or 中村さん。仕事の時だけ。】

主な経歴

2012年からヘッドハンティングにより飲食店「達磨」の立ち上げ・経営に携わり、その傍らで自己分析に特化したプロジェクト「関ゼミ」の共同幹事に従事。以来、学生団体の新規立ち上げに多数参画し、クラブチームやボランティア団体の運営に複数携わり、いろいろな事業を手がけた。

2016年には某ブランドの立ち上げに成功し、2018年に FIRE( Financial Independence, Retire Early )し、その冬から仏道修行者として修行に専心。

現在はふつうのお坊さん。(と言いつつもまだ色んなことには関わっている)



主な遍歴


•••すこし時を遡って、19歳になるまでの話。
度々怪我や事故に巻き込まれたり、体を酷使しすぎたのか、体を壊したり、生命の危機とか危ない目にあって3回死にかけたり、艱難辛苦の十九年間だった。



仏教について触れたのは物心がついてすぐだった。
この頃は仏教や宗教なんてよくわからないものであって、神や菩薩、仏陀の違いすら知らなかったし、むしろ宗教嫌いだった。(小さいころから正福寺の和尚とは仲良かったんだが・・・。)

仏教について学ぶ機会を得たのは18歳の頃だった。
入澤 崇先生(龍谷大学の現学長)より直接仏教の思想について学び、四諦八正道を知ることができた。生まれてはじめて四諦八正道について聞いた時には「こんなに論理的に優れたものが仏教だったのか!」と、非常に感心して その日から改心することができた。


・・・さらに遡って、
僕の生い立ちは仏教や修験道とゆかりが深い土地柄(役行者の寺や、 南朝ゆかりの史跡、源義経ゆかりの地や、西行や芭蕉が逍遙した文学の史跡など、歴史的な場所がたくさんある一帯)で育った。
このような環境も手伝ったのか、物心ついた頃にはすでに「修行」というものに対しては興味があった。

「おそらく "そこ"になんらかの答えや真理があるのだろう」と確信めいたものがあったし、山籠りして修行をしたいと思い描いていた。(この時 5歳ごろ)


宗教嫌いではあるものの、修行は好きだったので、一方では精神的なものに何らかの可能性を感じながら育っていったのだと思う。



人生のターニングポイント


19歳の頃に 話を戻して、
それまで宗教嫌いだったのが一変した。

キッカケは本物の仏道修行者から教えを受ける機会を得た時。この時、人生最大の衝撃をうけた。それまでの人生の艱難辛苦に意味があることを悟ることができたからである。


その日以降、
原始仏教(初期仏教)をはじめとして、主にチベットやブータンのカギュ派の仏教の勉強と修行をした。北伝だけでなく南伝も学び、国際仏教についても少々学ばせていただいた。それが今現在に繋がる。

元カギュ派の僧侶と元ニンマ派の僧侶から色々なことを学べたことも大きい。


そのおかげで
日本以外の海外の宗教について知ることができ、本物の修行者たちと出会う事ができたし、ちゃんとした修行の道に入ることができた。そのおかげで以来十数年 毎日修行を続けてれている。


現在は
自分の夢だった修行をしながら、いろいろな事業や団体、学校や、オルタナティブスクールの相談役として
生徒を日本、ドイツ、韓国、メキシコ、ミャンマー、オーストラリアに もたせて頂いて、若い人の色んな人生相談に乗らせていただいている。


また、
今日までのいろんな経験と研究を活かして、
「理学生理学 療法鍛錬法 概論 〜理学と生理学にもとづく 新しい療法・鍛錬法〜」という研究論文を執筆中。

もしお時間あればコチラ↓↓  もご覧ください 


なぜ今、noteを始めるのか?


・・・数年前、

僕が生徒にヨガのことを教えていた ある日の事。


「中村さんってなんか怖い。なんか変な宗教やってる人みたい。おれ洗脳されそう。。」

という声が一般生徒からあがった。


僕は「はぁ?」って思って
あきれてしまった・・・。


ヨガはたしかに宗教なんだけど(佐保田鶴治先生もヨガは宗教だって著書でもはっきり言ってる)でも、日本ではなかなか宗教とは認められてない。つまり、日本においてヨガは宗教ではない。


参考までに
文化庁発行「宗教年鑑」令和3年度版 を載せておく。ヨガの記載がものすごく少ないことに気づくはずだ。

https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/shukyo_nenkan/pdf/r03nenkan.pdf


僕のことを怖がるのは、
まぁ仕方がないとして

ガチの宗教者である僕に対して
生徒から「なんか変な宗教やってる人みたい。おれ洗脳されそう」などと言われた時に



ぼくは
おいおいおい。仮に、あなたを洗脳しても僕には1円の利益にもならないが  あなたを洗脳して一体僕になんのメリットがあるんだ? 逆に洗脳することで生じる風評被害とかのデメリットの方が大きいやないか。 だとすれば なんの為にあなたを洗脳する意味があるんだ? あなたを洗脳しても意味がないでしょ? そもそも洗脳ってどういうことするのか わかってるのか?


と息巻いてしまったことがある。



その時の僕の心境はもう、
授業中にも関わらず ほとんど(ふざけんじゃねぇ🖕)って感じだった。



しかし、よく思い返すと

(あっ、そういえば、、自己紹介してねぇわ。。)

って、思い出した。


そう、
何を隠そう僕は自己紹介を忘れてしまうのである。
生徒に息巻く僕の方にも問題があったのである。

自己紹介を忘れる理由

ところで
なぜ僕が自己紹介を忘れてしまうかというと、それにも心当たりがある。


それは今から十数年くらい前まで遡る。


僕が自己紹介してしまうと
何故か興味を持つ人が多いらしく(有難いことなんだろうけども。)


僕のことを あれやこれや、
根掘り葉掘り聞かれることが多くて、僕がしたい会話がなかなか進まないのである・・! ※僕がしたい会話は後述。



それが本っっ当に 何年も続いたので、

自己紹介する気が進まなくなって、、


気が引けて、、、。


ついに
僕は5年くらい前から自己紹介することを辞めてしまったのだった。(おかげさまで?ここ数年は僕のことを あれやこれや根掘り葉掘り聞く人はめっきり減った)


それを思い出して、僕は生徒に謝罪した。



そして改めて自己紹介を行った。

それによって僕はその生徒たちとは今も仲良しである。


めでたし めでたし。


と、見せかけて

よくよく思いかえすと、僕のことを怖がる人は1人や2人では済まないことを思い出した。

そこで
関係者たちに、改めて僕に対する第一印象を聞いてみようと思い立ち、リサーチをしてみた。

すると、
実は初対面の時は怖かった・不信感を持っていたという人がたくさんいた。


そんな時、
(・・・これは もしかすると、きちんと自己紹介した方がいいのでは、、?)


※こんな考えが頭によぎって
 もう4年くらい経ってしまった。



そこで
自己紹介を文章化しとけばいい!)と思い立った。・・・これがnoteを始めたキッカケである。



まぁ、、
ちょっと後回しにし過ぎた感はあるが、
数年間キチンとしていなかった自己紹介をすることで、周りからは大きな反響があった


つい先日も、
ある編集者に僕の自己紹介を長々としてみた印象を伺ってみたところ、

という印象をうけたそうだ。
統計的にも だいたい6種類くらいになるらしい。
ちなみに、人によってかなり印象が変わるそうだが。。



なぜ僕は自己紹介をしなくなったのか?

なんで自己紹介やめたの?と聞かれると、
先ほどは「自己紹介する事が嫌になって避けるようになった」と書いたが、少し訂正したい。

正直に言うと、
僕は自分の話を聞いてほしいと思わないので、会話するなら人の話を聞く方がいい。
これは初対面の人なら尚更ではないだろうか。。


昔話をさせていただくと、
小さい頃から自分の話なんかよりも人の価値観や物事の成り立ちを聞くことに興味があった。僕は子供の頃から長い間誤解に直面してきた。複雑な家庭環境や口下手なのが要因だったのもあったのかもしれない。

客観的にみても僕のバックグラウンドは理解されにくいと思うので、口下手のままでわざわざ理解されないようなことを自分から話そうとすることも変だろう。

一方で、都合のいいことに
僕の活動範囲というか、その界隈ではちょっと目立った存在だったみたいなので、こちらから話しかけても「ああ、君ね。」と認知してもらえていた。だから自分から自己紹介する必要もなかった。



もう一方で、
僕は根っからの正直者・真面目な人だという自負があった。今もそれは変わらず、聞かれたことにはありのままに答えるタイプだから話せばなんとかなった。

それらと同時に、
目の前にいる人が何を考え、何を悩んでいるのかを知りたいという思いが強い。そのため、ついつい「どうしたの?」「何があったの?」などと質問しがちになので、そもそも小さい頃から自己紹介する習慣もなかった。


そもそもの話

それでも僕がやってこれているのは周り人や環境に恵まれているからだと思う。だから自己紹介をしなくても成り立つことができてると思う。


いずれにせよ、
現実的に考えるれば初対面の人同士が 1回や2回自己紹介した程度では、お互いのことを理解し合えるのは稀。

逆に、長年連れ添った親子でさえもお互いのことを知らないことばかりだし、逆に、理解し合えたはずの関係や積み重ねた実績も一瞬にして崩れ去ることもある。


なので僕は

  • 「誰にとっても聞こえの良い挨拶や自己紹介なら誰にでもできる。表面的でカッコいいものなど世の中にいくらでもあるが、その真逆をいかなければ見えないものも多い。だから、人との関係ではあえて何も言わないことや、逆にマイナスのことばかり言うのもアリじゃないか。」

  • 「ナレッジも肩書きも何もないところからスタートしてはじめて、対等に接することやその人のものの見方や価値観を知ることができるのではないか。」


こういう考えを持ち始めたことで、
挨拶のような上っ面の自己紹介は無意味と考えるようになっていった。


なにより、僕は人を理解したいという思いが強いので、自分を知ってもらうことよりも、自分が相手を知ることに意味があるという結論に至った。

その結論に加えて、僕は根っからの正直者・真面目な人だという自負心が、この論理を補強したし、
今となっては戒律や約束事がたくさんあり、ポリシーもあるから、嘘はつけないし、誤魔化すのも嫌だし、人から煙に巻かれたと思われるのも本意でなく心苦しいので、自分を知ってもらいたいという気持ちが更に薄くなってしまっていた。

以上が僕が自己紹介をしなくなった理由である。


僕なりのnote活用法

そんな中で、僕はこのnoteを自己紹介のツールとして使わせていただいている。長々とした自己紹介は今後、コチラのnoteの方に任せたい。

あなたの都合のいいタイミングで、場所や時間を選ばずに見てもらえたらいいと思っている。


いつか あなたとカウンセリング等でお会いする機会があればこの自己紹介だけでなく、色々な記事をあらかじめ見ておいてもらいたいとは思うが、一応、初対面の1on1や、カウンセリングなどで一対一でお話させていただくときは

「中村元癸です。仏教僧です。インドのサンスクリット・カレッジと同じ理念の学習塾の運営をしていて、若者の支援をしてます。昔はスポーツトレーニングの研究・開発をしてました。今は日本人や外国人に仏教を教えている者です。今日はカウンセリングをさせてもらいますので、それでは本題に入っていきましょう。」

↑こんな感じで、
30秒くらいの自己紹介をさせていただいて本題に入らせてもらっている。実際に現場で話す時は、僕の自己紹介は短かくして可能な限りあなたのことを聞かせてもらいたい。

少し話が逸れるが、
僕は修行が本業(修行は仕事とは違いますが)である一方で、年間100回を超える授業や講演もこなしている。

比較的多いのが企業の中で20代の若者向けにおこなう授業で、「ライフプランセミナー」とか「人生相談〇〇」とか「〇〇質問会」とかいう名前がついていて、近づく人生の岐路に向けて人権問題やキャリア、生き方に関することを考えてみようという趣旨で関連事業が主催し、20代の若者に参加の機会を提供させていただいているが、終わった後は必ず参加者の方々へ感想をお聞きし、なるべくフィードバックをさせていたたく。

僕自身、ちゃんとした修行を始めてから16年を過ぎたので、その間に経験してきた修行経験や仕事のことを正直にお話しすると、みなさんとても熱心に聞いてくれている。

やはり机上の空論ではなく、実体験から得たことについては関心が高いからだろうか。自分がどうやって問題を取り除いたり、壁を乗り越えてきたかという経験を話すことがあるが、それは若い人たちにとって魅力的に映るようである。

このようなパブリック・リレーションズはとても大切だと思っているので、自己紹介もTPOに応じた対応をしている。事前にこういうnoteを活用して、事前に僕の人となりを知っておいていただけると親近感を持ってもらえるとありがたい。


親近感が持てるかはわからないが、もし、僕のことを知りたいなら仏教の専門知識が必要なので、とりあえずコチラ↓を見ておいてもらえるとありがたい。

※このnoteの活用法においては、適宜読者の方々の反応を直に見させていただきながら、新たな観点や新たな視点を発見したいと思っていますので、みなさま、ご意見・ご感想をどうぞよろしくお願いいたします。

僕の理想の目標像

パブリック・リレーションズは、主体と公衆の望ましい関係を構築・維持する営みである。 個人や組織は社会の様々な人々をステークホルダーとして持つ。個人・組織の目標を達成するためには彼らと良好な関係を築くことが不可欠である。

公益社団法人日本パブリックリレーションズ協会より 

その点からみれば、きちんと自己紹介をするなり、コンセンサスを取るなりして周りの人から理解してもらえることはとても重要なことではあると思う。

ただ、若者の後押しすることのみに焦点を絞って、余計な自分の話を全くしない、本当に必要なことにフォーカスできるようになることが理想的であると思っている。

僕は周りの人から誤解をうけ、勘違いされたまま生き、悪評をほったらかして何も弁明しない方が、僕にとっては良いことである。(仏教的に考えるならば、それによって僕の目標に近づくとも考えられる。)私利私欲とは反対の道を歩むことにすべての時間を費やすことができるなら、それも良い。

僕の目標は「無私の心」を培い、そのためにすべての時間を使って一般的な自己利益とは真逆の道を歩みたいので、人から理解されないことや評価されない道に「犀の角のようにただ独り歩め」という言葉を体現したい。

抱負

僕は今、
名声の有無に関わらず、若者こそが日本の未来を担う未来のリーダーであり、その可能性を秘めていると信じて、若者達を応援している。

僕がこれまでに会った人は、そのような可能性を秘めた人だけだと思っているし、これから出会うであろう人たちにも素晴らしい可能性を秘めていると真剣に思っている。

僕自身は、幼い頃から「正しさとは何か?」と自問自答し続け、迷っていた。ただ、仏道修行を通じて、自分の迷いや混乱の原因を知ることができ、一生懸命 目の前のことに挑み続けることで多くの問題を取り除くことを理解できた。

こうして今、自分自身が望んでいた修行生活を送ることができている事が可能性を秘めた人たちにとってプラスになるかもしれない。


人はその可能性に蓋をして、自分自身を束縛してしまっている人も多いが、自己の問題を発見し、取り除く事ができれば、もう問題はない。このようなサポートをしていきたい。


・・・僕の拙い文章をネットに文字で残すのはちょっと抵抗がありますが、そんな文章を最後までお読みいただき本当にありがとうございました。

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