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「 目の前のひとを大切にすると決めたら、人生が変わるを実験中!かわかみ くにひこ 」

 意味のないことは
 起こらない
 福島正伸

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「てつはる」こと、川上邦彦さんと出会ったのは、10年前。最初の会話を憶えている。
「俺たち世代って、川上って言うと、『巨人の星』に登場してた川上哲治監督だよね」と、俺。
「小学生の頃、『てつはる』って呼ばれてました 笑。」

それ以来、彼のことを「てつはる」と呼んでいる。てつはるは58歳だから俺たちは、ほぼ同世代。高度経済成長期に生まれ、男が働き女が家を守る的な70年代の価値観の中で育ち、モーレツ社員で稼ぎまくっていた20から40代、50代で「足るを知る」喜びまで、同じ時代を生きた。テツハルの声はラジオ向き。久しぶりにZOOMではなくリアルで会って収録した。収録したのは横浜の中華レストラン「ブリル飯店」。そんなテツハルとのvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい。

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てつはるは、「地球探検隊」隊員ではない。いわゆる旅のお客さんではないのに、なぜ、付き合いが続いているのか?この10年間、誕生日や周年パーティーなど、いつも美味しい手作りケーキを持ってきてくれたのだ。去年、久しぶりに新宿で会った時も、俺の誕生日にも、手作りケーキを持ってきてくれた。てつはるは、見返りを求めず与えられる人。人生60年で、初めて誕生日をサシで過ごした男 笑。何でも10年続けるのは凄い!。

本籍は父の実家の福井県だが生まれは岐阜県。生まれて3か月後から5歳まで福岡県北九州市に引っ越したのを機に移転を繰り返す。小学生から埼玉、千葉、青森県2回と5回転校し小6の夏休みから神奈川県横浜に定住、27歳で結婚するまで実家、横浜で暮らした。北から南まで転居を繰り返したので「地元はどこ?」って聞かれると横浜という感覚はない。「強いて言えば日本!」って答えるテツハル。

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てつはるの人生はバイク抜きには語れない。初めてバイクに乗ったのは父の実家のある福井県の田舎、中2、14歳の時。てつはると話していると初めてバイクに乗った時の、あの心臓の鼓動が大きく聞こえる高揚感を思い出し、少年の心に戻れた。16歳になった彼は、自給490円のバイトから始めて教習所に通い、ようやく手に入れたバイクはHONDAホークⅢ CB400。9月に先輩から譲り受けたバイクは10月で車検切れ。お金のなかった彼は毎日洗車してピカピカにしていたという。バイク愛溢れる軽快なトーク、なんか楽しかった。

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彼は18歳で人生を変える事故に遭遇した。高3で読売新聞に載るバイク事故で九死に一生を得たのだ。人生に「もし」はないが、友達の「顎ひも締めなおして!」の一言がなければ、咄嗟の判断でテツハルがアクセルを開いてなければ、生きていなかったかもしれない。事故処理の中でもお父さんのたった一言から加害者から被害者に逆転勝利、大学も法学部に入ったこと、すべて保険関係の仕事をしている今に繋がっている。

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大学卒業後、流通業に入社、ボーナス3回支給され、4年目で12年働いている社員と同じ給与をもらうほどモーレツに働く、できる社員だった。25歳で高給取りになるも、ハードワーク過ぎて会社を辞めて1年間アメリカへ旅立つ。その旅でパートナーと出会い結婚することになる。この時も、もしテツハルがパスポートを盗られてなかったら結婚はなかったかもしれない。神奈川県と熊本県の遠距離恋愛の末、手紙と電話だけで実際に会わずに結婚まで至る馴れ初めの話は微笑ましかった。この27歳での結婚が人生の転機となる。なんせ知り合った頃はプータローで結婚した時もバイトだったから、真剣に職探しをして人材派遣会社に就職。アッという間に銀座支店長になるから、もともとビジネスセンスのある人だったのだと思う。たぶん売込んだことがなかったんだ思う。結婚を機に再び高給取りになるも、給与カットや役職降ろされたりした時期に副業でやっていたネットワークビジネスが軌道に乗った。これだから面白い。てつはるの根底にあった思いは、子供が「これやりたい!」って言ったら、やらせたかったから。

家庭を持って子供たちが成長し、仕事ではリーダーシップを経験し懐事情にも余裕ができた。40歳になった彼は「これから何のために時間を使っていったらいいのか」自問自答を始める。そんな時期に俺たちの共通の友達に出会う。「この人ホンモノだ!」とテツハルが思ったのが山崎拓巳さん。たまたま2万人の前で一緒に講演(てつはる10分、拓ちゃん60分)をする機会があって一瞬で聴衆の心を掴み空気を変える拓ちゃん。若い頃撮ったジャージ姿の山崎拓巳をビデオで見て、「誰もが劇的に変われる!進化できる!」と確信し影響を受けた。

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俺は27歳でバイク事故を起こしスズキ(SUZUKI)LS400 SAVAGEを降りて、41歳から本格的にモンゴル乗馬を始めバイクから馬に乗り換えたが、14歳からバイクを乗り続けていたテツハルは41歳でバイクを降りる決断をする。またも死んでもおかしくない事故にあったのだ。しかも東京モーターショーに出品されていた特別塗装のナナハン。大学生の頃からナナハンに乗っていた彼は「人間の感覚を超えるスピード感!」に夢中になっていた。ベンツに突っ込んだバイクを路上に止めた瞬間、天から声が降ってきたという、「降りろ!」。彼は大好きだったバイクを降り、バイクを友人に譲った。テツハルは保険部に異動になった初日、包帯だらけで出社したらしい。

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保険のことを何もわからなかった彼がどうやって業績を伸ばしていったのか興味深い話も収録できた。異動後も1年目で4倍、2年目で8倍の給与をもらう躍進。ところが突然の給与カットを宣言されたタイミングで別の保険会社に転職する。ここで活きたのが派遣x保険x人材育成をしてきた経験。組織の中で自営業をするライフスタイルに変え、58歳の今も保険の自営業者だ。

45歳で離婚した彼は13年間、売上を気にせず、利益を追求しない仕事にシフト、変容を遂げた。それは、サラリーマンから自営業者に、家庭持ちから独身になった環境の変化は大きい。目標値を掲げず売らないスタイルに変えた時期、PR業界売上1位となったサニーサイドアップ創業者の高橋 恵さんが会長を務める「おせっかい協会」と出会い、彼は専務理事を務めている。もう10年になるというから、ちょうど俺と出会った頃と重なる。80歳になる「おせっかい協会」会長、高橋恵さんにも興味が湧いた。一般社団法人おせっかい協会とは何か・・・

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2月に下旬に収録して再び昨日、「ブリル飯店」で待ち合わせた。今度は、「ブリル飯店」鈴木シェフを紹介、繋げてくれて収録となった。前回途中となっていた収録を鈴木シェフと追加収録したのだ。てつはるは今も人材派遣で感じた人と人とをマッチングさせ人に喜んでもらうことを続けている。決して無理せず必要な人が必要なタイミングで出会う場をつくっている。

2回の大きなバイク事故で「死」と直面したテツハル。「何のために生かされたのか」自問自答したはず。今の彼を見ると、その答えがわかるように思う。頻繁に会うわけではないが大切な友達の一人だ。また飲もうね。これからも、よろしく。

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 北野武さんはバイク事故で入院中、母から
 貯金通帳を渡されて驚く。
 「小遣い寄こせ」と息子から巻き上げていたお金が
 一銭も手をつけられずに入っていたからだ。
 「あのバカ、どうせみんな使っちゃうんだから」
 との親心で貯めたものだった。
 うん、泣けましたよ。
 「ウワァー、やられた、やなババアだ」と思って。
 だから、逃げられないんですよ。
 俺ぐらいマザコンっていないんじゃないかと思うもん。
   北野武 
 「阿川佐和子の世界一受けたい授業」より




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