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ビジネスとは自分を大好きになるプロセス 今井孝

 やってごらん
 きっとできるよ
 福島正伸

彼を知ったのは20年前。俺が代表幹事を務めた日本一熱い異業種交流会「東京非凡塾」の懇親会だった。当時ハンドルネームがターレス今井だったから、今でも、俺は彼の事を「ターレス」と呼んでいる。最初の会話を憶えている。ターレスの名刺にあった初めて見る肩書の意味を尋ねたのだ。後に一緒にアフリカ大陸最高峰キリマンジャロ(5,895m)を登頂した隊員と一緒のテーブルだったことも鮮明に憶えている。

ターレスのYouTubeチャンネルで俺がインタビューされた「倒産・自己破産したらどうなる?」は、3,000回近く視聴されているようだ。

彼は、「自分なんて価値がない」と思っている人に向けて、本当の自分らしい価値に気づき、ちょっとずつでもお金にする体験をして成功に導く副業、起業を支援する「起業コンサルタント」だ。教えたり育てたりが好きなのはボーイスカウトの隊長をしていた父親譲りかもしれない。「起業1年目の教科書」シリーズは累計10万部を突破し、本田健さんと一緒にトークライブをやったり、新著「9割の人が気づいていないお金の生み出し方」が、あのオリラジ中田敦彦氏のYouTube大学で取り上げられるなど、最近の彼の活躍には目を見張るものがある。

ターレスは「起業塾で一番大事なのは、ノウハウを教えるのではなく、ビジネスでチャレンジして成功させられる人を育てること」という。できてもできなくても自分を受け入れる「自己肯定感」を持つことに疲れてしまった人も、まず「自分ならできる」と考えられる「自己効力感」を持つこと、「やればできる気持ち」を育てることが必要だと思う。1,139回目から1回10分、全7回のvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい

「ターレス」こと今井孝は現在49歳、大阪府守口市出身。小中高の共通点は、新しいものを創ったこと。幼少期より自分のつくったもので、人が喜んでくれるって嬉しいと感じていた。小学生の頃は自由帳に「ドラえもん」や4コマ漫画を描いていた。中学では休み時間に小説を書いた。今、ベストセラー作家の彼は中学生の頃から書くのが好きだったのだ。PCはMicrosoft Windowsが世に出る前からNEC8801シリーズを使っていた。アルゴリズムを学び課題を解決し明確な回答を得るのがおもしろかったという。高校では学園祭で舞台演劇の脚本を書いて演出もした。しかも「ピノキオ」をパロディにして笑いをとり優勝したらしい。

大学は京大を目指したが不合格。人生最初の挫折を味わった。当時の彼は「阪大しか受からなかった。これで自分の人生は終わった」と思ったらしい。この自らの経験が今に繋がっている。傍から見ればどれだけ恵まれていようとも、自分に実感がなければないのと同じだ。

彼は「これではダメだ。何とか人生を巻き返さないと」と、ありとあらゆるものをやってみた。情報処理の資格を取り、英語を勉強した。カラオケ屋さん、家庭教師・塾講師、プログラマーと3つのアルバイトに明け暮れ、1日や1ヵ月の短期のバイトも複数やった。バイト先の先輩からバックパッカーで世界を旅した話を聞いてイギリスへ一人旅をすると、旅にハマった。エジプト、ヨルダン、ペルーなどバックパッカーをして何カ国も世界を周った。「意図しない出会いが人生を変える」と気づいた。大阪大学大学院では情報工学科で分子生物学を学んだ。大学院を卒業する頃には手元に400万円残っていた。今から思えば「もっとサークル活動をすれば良かった」という思いもあるが、学生時代のバイト経験が確実に今に繋がっている。

就職氷河期にもかかわらず理系の大学院を卒業していると、当時の就活は楽だった。行きたい会社に〇を付けるだけだったという。募集枠を超えるとジャンケンで決めていたらしい。それでも真面目に2社を受けて合格し、第一志望のシステムをつくる大手企業に就職した。時代はシリコンバレー全盛期、1998年にはMicrosoft Windows 98が発売されITバブルを生んだ。

小学生の頃から、「一本つくったら勝手に売れるソフトウエアの世界、夢があるなー」と思っていたが、実際に大企業で会社に言われてシステムをつくる仕事とYahooやGoogleなど次々と台頭するベンチャー企業とが自分の中でどうしても結びつかなかった。IT業界と一括りにしていたが大企業とベンチャー企業は全く違うと気づいたのは、会社を辞めてからだった。

当時、読者5万人を超えるメルマガ「経営戦略考」で有名な経営コンサルタント&コーチの森 英樹さんのコーチングセミナーに参加したり、俺が代表幹事を務めた異業種交流会「東京非凡塾」やシンマさんが代表の「21時から倶楽部」などサラリーマンをしながら、社外の人たちと触れる機会があった。そこで出会った人のほとんどがメルマガを発行していた。「自分にも書けるのでは・・・」と2002年、メルマガをスタートし、1年で読者1万人を超え、20年経った今も書き続けている。

俺も2001年から2019年まで18年間メルマガを発行し読者1万人を超えたが、大事なのは読者数より、どれだけ読者と信頼関係をつくれるかだと思う。それが集客に繋がるからだ。

社内で新規事業に成功し表彰され実績もつくったが、「これ以上残っていたら辞める機会を逃す」と考えたターレスは週末起業家を経て2005年の末、7年間勤めた会社を辞めた。

2006年、起業1年目はセミナーをやったり教材を売ったりしたが赤字で事業が上手くいかなかった。そこへ「福島正伸さんのセミナーをやりますので来ませんか?」と友人に誘われた。以前、彼は福島さんの社内ベンチャー養成講座合宿に参加したことがあったので即決した。2005年、「夢実践塾」に参加、2006年8月、第6回最終回の懇親会会場で一人テーブルに座っていると、福島さんと秘書の大前さんがやってきた。そこで彼は「先生はコンサルタント向けの講座はやらないんですか?」と声をかえると、「やろうと思っていたんだよー!」と意気投合。「人を成功させてはならない。成功させられる人を育てるんです」と福島さん。福島さんの講演料を聞いて俄然、やる気スイッチが入った。「よし、やろう!」。

それが2007年から始まった全3回の「福島正伸先生による『超人気コンサルタント養成講座』」だ。1万円で100人集客した、そのセミナーは「福島正伸先生による『究極のコンサルタント養成講座』」のフロントセミナーだ。『究極のコンサルタント養成講座』第1期生は全6回、特別料金18万円で開催、34人集まって業績はV字回復した。第2期生の募集前に「メンターズクラブ」というコミュニティをつくり、「夢」を持っている起業家や経営者を精神的に支援した。このコミュニティが講座終了後も応援し合う関係性を生み出した。2008年第2期生募集から24万円にしても100人集まった。半年後に第3期生を募集し、年2回開催した。一時的に受講生は減ったが、口コミで広がり毎年300人集客し2016年まで10年続けた。

ターレスは「究極のコンサルタント養成講座」を10年続けると同時に、2007年から感動と共感の夢のプレゼン大会、「ドリプラ世界大会」のドリームメンター(やる気を引き出す究極の支援者)を務めた。俺は2007年、「ドリプラ世界大会」コメンテーター(審査員)に任命され2018年まで全11回務めた。2008年に出版した福島さんの本、「どんな仕事も楽しくなる3つの物語」がベストセラーになった。2007年から福島正伸さんと関わった10年がターレスと重なってる。俺も福島さんから多くの事を学んだが、「大人の修学旅行」に同行しツアーリーダーとして実践を心がけたのは、「支援するとは、やる気にさせること」。

毎年300人集客していると、「どうやって集客しているの?」と言われるようになり、自身の集客セミナーをやるようになった。
「ノウハウを教えても人は動かない。マインドの話をしないと動かない」、「人が商品を買う理由は自分の感情が良くなること」、「自分が一番幸せだったのは、自分のことを好きになれた時。自分大好きな人を増やしたい」、名言がたくさんあった7日目の最終回。おばあちゃんとのエピソードも良かった。

2022年6月、福島さんから教わったことにアレンジを加え出版したのがベストセラーになっている「9割の人が気づいていないお金の生み出し方」だ。「自分を認め、自分には価値がある」と自分にOKを出せないとビジネスはできない。怖くてお金がもらえないからだ。

最近は「社長のカラオケ大会」を開催し、一緒に大好きなカラオケを楽しんでいる。

ターレスが自分大好きな人を増やし続ける未来がはっきりと見えた対談だった。

 生きるって何だろう?って。
 まずは心臓が動くこと。
 体が動くこと。
 心が動くこと。
 走りたい。
 ビール飲みたい。
 餃子と一緒に飲みたい。
 好きな曲聴きながら
 好きな人と聴きながら。
 今、好きな人に会いたい。
 抱きしめたい。
 そんなふうに何かをしたいって
 心が動くこと。 
 欲望、エゴが
 生きるってことなんじゃないかな。
 特集ドラマ「幸運なひと」

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