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「楽しく時代を生き抜くチカラ 旅する絵本作家リックスタントン(本田隆二)」

 人生は、すべて、自分が選んでる。
 だから、すべて、自分で変えることが出来る。
 いいねぇ。自由だねぇ。
  高橋歩(著)「FREEDOM」

今月、「"90歳 47都道府県を巡り無事帰宅"」とFacebookのタイムラインには投稿があるが、9月1日から90歳の母親と日本全国一周の旅に出る直前の忙しい中、「旅する絵本作家リックスタントン」ことRyoujivoicyラジオに出演してくれた。

俺たち2人を繋げてくれたのは、ひかる(樋栄ひかる)

14、5年前にRyoujiと俺のコラボトークライブをひかるが企画してくれて、4年前、Ryoujiと10年ぶりに沖縄で再会。その後、高橋歩主催の「旅祭」でも再会した。

Ryouji以上に「生き抜く力」を持っている人を知らない。生き方がカッコいいのだ。
「今、3歳の息子には俺が死んでも、母を笑顔にする、彼のような男になってほしい」そんなことを願いながら収録した。なぜなら、今、3歳の息子が40歳になった時、妻の美香は80歳。ちょうどRyoujiの親子と同じ年齢差だ。来月61歳になる俺は、その頃おそらくいないだろうから。

収録を終えて「人生はメッチャ楽しい!」って彼の心の声が聞こえた気がした。人並外れた覚悟と夢を持って身も心も筋肉をつけてきたんだと思う。常々思っていることだが、「今、幸せな人には覚悟と夢がある」。「さすが学校から引っ張りだこの講師!」、50年の人生のターニングポイントをギュッと3日間に凝縮して話してくれた。連続放送1,050回目から1回10分、全3回のvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい

15歳で家出をした少年は、「やりたいことリスト」を書いた。

10代のRyoujiは、人見知りで勇気がなかった。80kg以上体重があって体力がなかった。そして、お金がなかった。だから、人見知りを克服するため接客業に従事し、80kg以上あった体重を45kgまで絞り、お金を稼いだ。この3つの目標をクリアした彼は、今、50歳。20歳で独立起業し、30歳で事業承継したり売却して、30歳から20年間、旅だけをして暮らしている。

人見知りだったと聞いて意外だった。彼と会った時の第一印象は、後輩からも慕われ、先輩からも可愛がられるタイプだと思ったからだ。事業でケタ違いの大成功をしているにもかかわらず横柄な態度は微塵も見せず謙虚だった。彼が求心力を高めているのは、自分も周りも幸せにする笑顔。人が自然に寄って来るポジティブなオーラを放っているからだと思う。

15歳の時、ドキドキワクワクしながら、未知の世界に飛び出した。あの頃のように、50歳の彼は「リュック一つでスタートしたい」と思った。それが、「旅する絵本作家リックスタントン」の名前の由来だ。15歳のRyoujiはフランシス・コッポラ監督の映画、「ゴッドファーザー」を観て、「マイケル・コルレオーネ役のアル・パチーノのように庭で結婚式を挙げたい!」と思った。だから、「土地がほしい!」と言うと、周りからバカにされて笑われた。「やりたいことリスト」に書いたことを全て叶えた彼は、今まで世界84ヵ国を周った。自分の人生を絵本にして、残り112ヵ国を絵本を手売りしながら生きていく予定だ。

何をやっても仕事が続かない10代の彼が変わったのは、先輩との出会いだった。先輩が好きになり、「仕事が楽しいって人なんだ!」と思った。その先輩が仕事を辞めた。ついていきたいと思っても、社員として雇われた先輩に人を雇う権限がない。そこでRyoujiは考えた。このままだと土地を買えない。世界中を旅できない。30歳で仕事を辞めることもできない。周りを見ると、会社や国や環境のせいにして愚痴ばかり。会社に文句を言うけど辞めない、自分で会社を創った人もいない。国に文句を言うけど、国を出ない。Ryoujiは「海外に住みたい!」と思った。

給与交渉に行くと、当時、社長からも上司からもシバかれた。陰で言わずに思ったことを行動に移す自分が誇らしかった。殴られても殴られても、3回目の給与交渉に行くと、社長から「おまえ、おもしろいな」と評価された。ウエス屋で人通りの少ない場所で「古着として着れるものを売れ!」と、指示された。

19歳の時、「楽しく時代を生き抜くチカラ」の原体験とも言えることがあった。ある日、おばちゃんがお菓子を持ってきた。彼は、屈託のない弾ける笑顔になった。すると、おばちゃんから「あんたな、その笑顔でやれ!」と言われた。自分では笑顔でやっているつもりだった彼は愕然とした。純粋な心からの笑顔の力は絶大だった。いつしか社員の売上を超えた。この経験が、Ryoujiにとって成功の第一歩だったと思う。

「ルパン三世」が好きだったRyoujiは、大金持ちからお金を奪ってやろうと考えた。いつもお客様の喜ぶ顔を思って仕事に取り組むと、19歳の彼の周りは、お客様だらけになっていた。独立起業したいと思うと、保証人が必要になる。でも誰も保証人になってくれない。ヤケになってギャンブルをしてお金を使い果たしてしまったこともあった。

大阪西成あいりん地区の「どろぼう市」で仕入れ、たたき売りをすると月収100万円くらい稼いだ。「保証金を2倍出す。2ヵ月遅れたら全部取ってくれ!」と家主と交渉した。事業が軌道に乗ると次の新規事業に投資した。それを繰り返すと、50坪から500坪くらいの店をいくつも経営していた。どの店も繁盛店としてTVや雑誌に取り上げられた。そして、絶頂期にすべての店を売却し、「海外で暮らす夢」を叶えた。オーストラリアに家を持ったのだ。彼が30歳の時に母親は70歳。「やりたいことリスト」に「おかんを笑わす!」と書いたことが実現できた。

ところが、オーストラリアにいる時、父親が癌になった。Ryoujiは母親に「ほっとき」。ギャンブルにハマり子供の貯金を解約するような父親だったからだ。すると母親が、「あんたは自分一人で生きていけるけど、お父さんには無理」と言った。日本に帰国し、彼は3年介護生活をして父親は亡くなった。仲の悪かった父親と、最後は「ありがとう!」「おはよう!」と言い合える仲になっていた。

最初、「おかんもやりたいことリスト書いて好きなことしー」と言うと、「足悪いし、言葉もしゃべれんし、海外はねぇ・・・」と、乗り気ではない母親。
「オレが手伝うから、もし、しんどかったら、途中で帰ってくればいい」と説得し、母と子の旅が始まったのだ。10年前、Ryoujiが40歳、母80歳の時、母と2人で日本一周、そして、母が82歳の時、2人で世界一周をした。すると、母親は笑顔になって若返った。世界は美しく、楽しいことで満ち溢れていた。

そして、今、母は90歳、Ryoujiは50歳。
「90歳の母の周りの友達はいなくなっている。それなら一緒に旅をして友達をつくろう!いくつになっても友達はできる!」そんな思いで日本一周を始めた。90歳の母が日本一周直前にtiktok始めたら1日の再生数日本一になった。

●90歳旅 TikTok

●90歳旅 Instagram

家族と一緒の濃密な時間をつくること、仲間をつくること、人と話すこと、笑うこと、そしてアウトプットすることが、どれだけ人生を豊かにするか、それを実践するRyoujiと話して腑に落ちた。彼は、一日一日を大切に、今日も自分の魂が喜ぶことをやっている。

母親の母、おばあちゃんが亡くなった年齢は92歳。だから母親が92歳になったら、再び2人で世界一周の旅に出る予定だ。これこそが、人の世のあるべき姿だとRyoujから教えられた気がした。誰もが自分にできる親孝行をしたら、社会はきっと明るくなる。

 五十年前の日本は世界に誇る美しい海、川、山を
 持っていた。
 その頃の自然を知っている者から見れば、
 現在の日本の自然は見る影もないが、
 それでも尚、世界一美しい。
 この自然をもっと遊び尽くしたい。
 愚劣な国策や教育のために、自然で遊べる日本人が減った。
 しかし、まだ自然の中で上手に遊べる日本人がいる。
 野山の遊びの名人たちがこれからもっと増え、
 日本の自然が復活することを期待する。
  「ナイル川を下ってみないか」野田知佑(著)


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