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「いただいた恩やご縁を音楽で伝えていくことが僕の使命!」門内 良彦(Yoshi)

 出会いを
 一生のつながりにする
 福島正伸

尺八とギター2本という世界でも類を見ないバンド「P.W.R(Pure Well Right)」。「P.W.R.」メンバーはJun(小林純・尺八)Yoshi(門内良彦A.guitar)Masa(定兼正俊A.guitar、Baritoneguitar)の3人。

今回のvoicyラジオゲストは、2年前に放送した「P.W.R」Masaに続いて、ギタリストであり作曲家であり編曲家の「P.W.R」Yoshiに出演してもらった。

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Yoshiが20代後半に二胡の音を“イメージして”シンセサイザーで作った曲「Mongolian Blue」。この対談で、その曲が挿入された2016年夏に旅したモンゴルの映像にトリップした。それが、この映像。後半、モンゴル人相手に草原を馬で駆け鞭を入れて、かっ飛ばしてる俺。頬を伝う風が気持ち良かった。

2016年、中山マコトさんの忘年会で初めてYoshiに会った時、マコトさんに紹介された言葉を今でも憶えている。
「ミュージシャンは世の中にたくさんいるが、Yoshiさんは音楽だけで食べてる数少ない人」

偶然にも同い年「Yoshi」こと門内良彦。「あぁ〜同じ時代を生きてきたんだなぁ〜」ってしみじみ感じられた収録だった。

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2018年4月 俺がどん底の時に新宿1丁目「うま久」でサシ呑みした。通常一杯1,000円の焼酎の「魔王」が半額の500円サービスデーの日だった。「旅はどこへいくかより誰と行くか。やっぱ酒も誰と飲むかだな」そんなふうに思った楽しい宴だった。今回収録した1回10分、全9回のvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい。

Yoshiは、鹿児島県鹿児島市生まれの還暦。東京オリンピックの3年前、3歳の時の事を何となく憶えているという。それはモノクロTVで観た映像だ。彼が初めて作曲したのは、仲良し3人組でジャングルジムによじ登りながら作った「オレたちゃっ便所汲み3人組♬」というジングルのような曲。小学校ではピアノやエレクトーンをやっているクラスに1人、2人しかいない人を羨ましく感じながら、リコーダーなど縦笛に夢中になるも音楽の成績は5段階評価で3だった。また、彼はクラシック音楽が好きになり、本屋さんのおばちゃん家の居間で聴かせてもらったらしい。そんな古き良き時代。

中学では吹奏楽部にスカウトされた。後にも先にも運動部に入ったのは剣道部にいた3日間だけ。吹奏楽部でクラリネットをやらされるも、興味が湧かない。西部劇のBGMでかかっていたホルンの音が好きになり、顧問に掛け合ってホルン担当に変えてもらった。3年生で吹奏楽部部長となった。

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高校を選ぶ基準も吹奏楽部が強いか否かでブラバンに所属し、毎年コンクールに出場した。今でも付き合いのある心友たち。中高6年やったホルンを卒業した。きっかけは中2から始めたギターだった。何気なく聴いていた野球中継のラジオで「ギターやらなきゃ!」って天の声が降りてきた。それまで持ったこともなかったギター。最初に出したコードがCメジャーセブン。14歳だったYoshiは身体に電撃が走った。一日寝たら身長が伸びてるような成長期の14歳でギターと出合ったのは大きいと思う。努力するというより、ギターに夢中になっていた。それ以来、46年間ギターと共にある。5人で結成したバンドのメンバーと「プロになろうぜ!」って誓いあうも、進学、就職と、それぞれの道に空中分解していった。

一浪して明治大学文学部に入学し、19歳で上京した。ギターを教えてくれた友が交通事故で亡くなった。19歳のYoshiにとって死生観が変わるほどの出来事だったと思う。さらに20歳で父親が亡くなり、学費が払えなくなり大学を除籍になった。「音楽で一生やっていく。音楽で飯を食えるようになる」と自分自身に誓い、新聞配達など、食っていくために高円寺の三畳一間で暮らしながらモンモンとした生活をしていたが、楽譜の出版社にアルバイトから始め、正社員として30歳まで勤めた。20代はユニコーン、ジッタリン・ジン、ジュン・スカイ・ウォーカーズなど有名アーティストと取材で会うような生活だった。

24歳で結婚し、1歳の娘もいたが、30歳で仕事を辞めた。その後も、楽譜の仕事を依頼されて食いつないだ。ギター、キーボード、パーカッションetc全ての楽器を耳で聴いて譜面に起こす仕事。ほとんどのミュージシャンは自分のパートは「耳コピ」するが、一人で全ての楽器を聴き分け譜面に起こせる人はほとんどいない。当時はカセットテープの時代、いくつものウォークマンを消耗品となるくらい使い倒した。さらに、何弦の何フレットを押さえるのかを示す「タブ譜」も書いた。一日一曲ペース、速い時は一日3曲書いた。たとえばブルーハーツのようにシンプルな楽曲もあれば、ドリカムのように複雑な音源もあった。それを30歳から50歳まで20年間続けた。何万曲と耳コピし、何十冊と楽譜の本をつくった。自然と感性が磨かれ「音楽の感受性」が豊かになっていったんだと思う。LUNA SEAなど、ビジュアル系アーティスト全盛時代、譜面のチェックをしてもらった。

そんな中、二胡奏者ヤン・シンシン先生のコンサートに行って感動で涙があふれた。図々しくも自宅を訪ね、「二胡を教えてくれませんか?」と尋ねると、「君は二胡をやらなくていい。曲をつくりなさい」と言われた。それが、上記のモンゴルの動画、「Mongolian Blue」に繋がる。エピソードを知って俺は鳥肌が立った。

「P.W.R」尺八奏者、小林純さんとは20歳の頃から通っていた居酒屋で出会った。40歳を過ぎて、Junさんと「OASIS」という音楽ユニットをつくった。一時ソロ活動をするも、再びJunさんと繋がり、友達の紹介でギタリストMasaと出会って、今の「P.W.R」が誕生した。

楽譜の本をつくる仕事を続けて行く中、40代後半に中学時代から憧れていた石川鷹彦氏に取材する機会を得た。2006年8月30日の事である。そこで「次のライブ、一緒に出よう!」と石川氏から誘われた。「今日は友達がいます!」と紹介されステージに上がったYoshi。雲の上の存在だった人と一緒にステージに立っているのが信じられない心境だったと思う。

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石川鷹彦氏は名曲「22歳の別れ」の印象的なギターイントロをつくった人で業界では別格の存在で、吉田拓郎、かぐや姫、さだまさし、中島みゆき、長渕剛などそうそうたるアーティストに影響を与え支えた人。Yoshiにとっても石川氏はギターだけでなく、ありとあらゆることを教えてもらった師匠であり、大恩人となった。教わったのは、ギターの「やり方」よりも人としての「あり方」だと思う。尊敬できる人と10年も一緒に仕事ができるなんて素敵だ。Yoshiは石川氏と共に行動することで音楽的造詣の深さを得た。

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石川鷹彦氏の楽譜の本を10冊以上つくったり、石川氏が出演したNHKフォークギター講座の進行管理をしたりして陰で支えた。また、音楽の話を肴に一緒によく呑んだという。2006年から石川氏が倒れる2016年まで共に過ごした時間はかけがえのないものだった。その10年間で教えてもらったことが、今の「P.W.R」の音楽を支える基盤になっている。Yoshiは3つのバンド活動をしているが、すべてのスタンスは変わらない。「時にはメンバーを引っぱることもあるが、自分が前に出るよりも後ろで支えるほうが好き。独自の世界観、風景をつくる喜びのほうが大きい」という。

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約2年半ぶりに新宿御苑「ROSSO」で開催されるライブのこと。2014年からスタートした「アコギの寺子屋」のこと。なんと、一緒に楽器屋さんに行ってギターを買うところからマンツーマンでやるらしい。「仕事としてやっているのではなく、使命としてやっている!?」。「音楽は何が大事なのか?」。

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さらに番外編として2本追加収録した。

朝っぱらからやさぐれて酒を飲んだくれてた苦しい時も、親身になって支えてくれた今も繋がる小林渡さんはじめ「専大三曲研究会」の仲間たちとのこと。専大三曲研究会の演奏会本番の話に不意打ちされる感動があってウルっとした。二胡演奏家ヤン・シンシン先生の娘さんヤン・ユキさんとの不思議な巡り合わせ、「アコギの寺子屋の会場に使ってよ」という奥沢のバー「Piccolo Stanza」マスター。1回の出会い、ご縁が一生の付き合いになることに共感した。全体を通して、人との繋がりって、こんなにも温かい気持ちになるんだって思えた放送だった。

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「ギターは時々弦を緩めないと傷つくし傷みやすい。だから自然の力を借りてリフレッシュ」なんてドラマのセリフにYoshiの顔がチラついた。青空の下、酒でも飲みながら、また語り合いたいが、まずは9月30日(金)2年半ぶりの「P.W.R」ライブで再会する。彼らの音楽を聴くと、今まで世界70ヵ国を旅したシーンが思い出されて郷愁を誘う。耳に心地いい「P.W.R」の曲は秋に合う。俺にとって、2019年8月4日、中目黒の「楽屋(らくや)」以来、3年ぶりのライブ、楽しみだ。

「P.W.R.」ライブ情報!
・day:9/30
・time:open 18:00/start 19:00
・spot:新宿御苑「ROSSO」 
・charge:¥3,000(ドリンク別)

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 母が
 「心はどこにある」
 と聞くんです。僕は
 「……うーん……どっか、このへん」
 と自分の胸の辺りを指します。
 すると母は、ビシッと、
 「どこだか分からないから、
 自分の心を示すために言葉と行動があるんだよ! 
 言葉と行動そのものがあんたの心!! 
 覚えておきなさい」
 と言うんです。
 長渕剛


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