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【「真夜中の電話はいつも」(三) 】

 ‘加瀬フミヒロ’というCGクリエイターがいる。
 僕より歳が一回り上の加瀬は、20代の頃からすでにCGディレクターとして注目を浴びていて、仕事を通して彼と初めて出会った時には40歳を手前にして既に長短合わせるともう数えきれないほどの監督作品を務めていたような人間だった。
 僕も学生の頃からその名前は耳にしていて、自分の所属する映像制作プロダクションが彼が新しく監督を務める短編CG制作を請け負うと聞いた時は不思議な気持ちになった。
「あんたがプロデューサーなんだ。若いね、よろしく」
 いつぞやTVで見たドキュメンタリー番組の中の加瀬と同じく、すらっとした長身にタイトでモノトーンベースの服をまとい、黒い幅広のハットを会議室の机の上に置いた加瀬は手短に挨拶を済ませた。
 「あと、こっちは槙村。カット制作もやるけど、助監督もやってもらおうと思って。結構エグい画作るのよ、こいつ」
 加瀬と連れ立ってその横に座り、’槙村’と紹介されたのが由佳だった。
 加瀬の紹介に、由佳はこちらに向かって無言でぺこりと頭を下げた。
 長いストレートの黒髪を垂らし、とても大人びて見えた由佳はその時の自分と同じ20代後半くらいの歳にも見えたが、後々で僕より歳が5つ下と聞いて驚いた。
 「あんたのとこの社長には若い時にお世話になっててさ。まぁ、短編だったら大きな事故にもならないだろうし別にいいかなって」
 加瀬は溢れる映像の才能とは別に、そのあまりにも正直すぎる言動にはいつも人を苛立たせる何かがあった。

 それから加瀬と仕事でやり取りをする際、スタジオ内は言うまでもなくスタジオの外で会うときにも加瀬の隣にはいつも由佳の姿があった。
 加瀬にはすでにそれなりの年月を伴った伴侶がいたはずだったが、クリエイター同士がお互いの才能に惹かれ合うなかで尊敬が別の深い情として交錯し合うこともあるということは僕も少しは理解できるだけの年齢にもなっていたので、あえて二人の関係に触れる気はなかった。
 「悪ぃ、やっぱこの人センスないわ。外せるなら今からでも外してくんないかな?」
 「ごめん、このシーン、絵コンテからやり直させてもらっていい?」
 作品が佳境になる程、加瀬の要求はエスカレートしていった。
 それはある意味、
 「辞めたきゃいつギブアップしてもいいぜ、根性なし」
 と言われているような気もして、沸き上がる苛立ちの中で僕は 
 「仕事で殺す」
 と覚悟を決めた。
 まずは微々たるものとは知りつつも制作費を浮かせるために、僕の下に付いていた制作アシスタント二名をプロジェクトから外した。
 加瀬からセンスがないと罵倒されたクリエイターには、これで絶交かもなと思いながら仕事を引き上げることを告げた。
 さらに他社と専属契約を結んでいる何人ものCGクリエイターの元を訪れては、オープンにしない形での作品への参加を呼びかけた。その際に、作業費とは別で幾ばくかの現金を包んで手渡したりもした。
 自分がやれる以上の、さらにその先に手を伸ばし続けた。

 その後の記憶は全くと言っていいほどない。
 一日をどう過ごしていたのか、仕事の合間に何を食べて過ごしていたのか、いつどこでどれくらいの時間眠っていたのか。
 気が付けば出資企業の会議室を借りての関係者を集めた試写会で、色々な部署からかき集めて並べられたオフィスチェアの一つにもたれ懸かり、遮光カーテンで閉ざされた真っ暗な部屋の中で、半ば寝ぼけた状態で目を半目にしながら流れる映像の一つ一つを僕は目で追っていた。
 途切れ途切れになる意識の中で、1本の映像になる前に既に何度も何度も繰り返し見たはずの由佳の手掛けたシーンは相変わらず異彩を放っていて、
「いい仕事しやがんなぁ」
 と僕は一人、寝ぼけ眼でニヤついていた。
 その日、一つだけ気掛かりだったのは、いつも加瀬の隣にいたはずの由佳の姿が会場のどこにもなく、加瀬の隣には代わりに今村和美が座っていたことだった。
 CGクリエイターとして由佳と同期だという和美は人当たりも良く、仕事もそれなりになんでもそつなくこなすタイプだったが、初めて仕事で接したその時の印象は、「将来いい奥さんになるんだろうな」というくらいの感慨しか持てないほど、残念ながらこの仕事をずっと続けていくだけの飛び抜けた何かを僕は和美に感じることはできなかった。
 
 やがて部屋が明るくなり、椅子から立ち上がって関係者一同の拍手に応えていた加瀬は、相変わらずうつらうつらとしていた僕のそばに歩み寄ると、中指で僕の額を軽く弾いた。
「こら、寝てんじゃねぇよ功労者」
 そう言って加瀬は僕の肩に腕を回すと、
「またやろうな」
 と耳元で囁いた。
 その時の僕は、きっと疲れ切っていたんだろう。
「槙村さんは?」
 と、由佳の所在を加瀬に聞いてしまった。
「んっ?」
 僕の言葉に少し眉尻を動かした加瀬は、
「分かんねぇけど、なんか熱出したらしいよ」
 とぶっきらぼうに答えた。
 あぁ、この人は嘘をついている。
 寝ぼけた頭の中で僕はそうぼんやりと思った。

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