産廃屋の思い出

数年前、東京に移住してすぐに、産廃プラントでバイトした日をふと思い出した。
ココ壱方面の騒動をニュースで見て、これは産廃屋として非常にマズく、かつどの業者でも起き続けているのだろうなという感想。

と言うのも、産廃プラントでの朝礼や講習なんかで定期的に言われていたのが、廃棄物を持ち帰るのは絶対にならんということで、直接的に換金可能な金属類等は窃盗にあたるわけで当然としても、如何なる価値のなさそうな物であっても、持ち帰ることはまかりならんと繰り返し言われていた。
何でも以前に、トレーディングカードが印刷所から廃棄された際、社員が大量に持ち帰ってネットオークションに流し、大問題になったとのことだった。

「産廃屋というのは、品物を引き取るだけではなく、適切な形でこの世からなくしてしまうのが、我々の仕事です」と、朝礼でスーツを着たエリア長のおじさんが、訓示を垂れるというのが日常だった。

入社時にこのエリア長のおじさんから新規入職講習を受けるのだが「お、何だその手の落書き、背中にも入ってるのか」等尋ねられ、腕にいたずら書きしただけとの旨答えると、非常に嬉しそうに、自分が彫った当時は機械など普及しておらず、大体彫り物というのは「ガマン」と言って、品質管理の○○も筋彫りでやめている。♪粋なあんちゃん 筋彫りで、銭が無ぇのか 痛ぇのか♪ってやつだな。
機械化が進んだ産廃プラントの管理職の口から、極道甚句のような謡曲が出たことに面食らった次第で、私らより上の世代の産廃屋という人たちを考える時に、廃棄物の転売など表層的な出来事に過ぎないという思いがある。

元々何者だったかわからない、現スーツを着たエリア長のおじさんの、おだやかな顔で「この世からなくすのが仕事です」との訓を拝聴し、何やら奥歯でじゃりと砂を噛んだような気分になり、私自身はチリ一つ持ち帰らなかったことを思い出す。