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毒吐きはその毒によって自滅する

昨日はウトウトしていて投稿するのを忘れてしまった。こんな日があってもいいが、毎回のようには落としたくないものだ。

私はいつからかブラックジョークを好み、アネクドートを好むようになった。多分歴史の教科書の風刺画が強烈に印象に残ったのだろう。ある程度知識を知っていないと伝わらず笑えないネタというのが好きらしい。そんな人であるから、自然と自らも皮肉を含んだエグみのある話をするようになった。むろん誰にでもじゃない。私の脳内は議会制民主主義を採用している。「これは話しても大丈夫だろうか」という審議を経て、採決を行ってから発言される。それに毒というのは大事な時に使うものであり、常に吐いていればいいというものではない。ここぞという場面で使うからこそ輝くのだ。

そしてこの「毒」は、使っている本人をも蝕んでいくのである。

自然と普段の会話でも「この発言はどうなのか」と深く考え込んでしまう。それは自己の中に深く潜り込んでいくようなものであり、下手すると戻れなくなることがある。発言の否定は「そこまで考えていた自分」の否定になる。それは自己の部分的な否定である。

他人を傷つけまいとした防衛方法が、自分を攻撃していくのだ

このせいなのかはわからないが、一時期精神を病んだことがある。他人が自分をどう思っているのか気になる。悪く思われているのではないか。他人の評価が気になって仕方ないのだ。今は他人の評価なんてクソくらえと思えるようになって、大きく気に留めないようにしているが、ふとした拍子にこの思考回路は動いてしまう。私にとってこの「他人にどう思われたいのか」は大きな心理的負担になっていると思う。

猛毒を持つ生物は、自分の毒で死なないように工夫を重ねる。私はその工夫をせずに皮肉という猛毒を手にしてしまった。今から工夫するか、デトックスするかの二択を迫られている。このままでは早晩自滅するだろう。

#自虐 #日記 #自己分析

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