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"本能寺の変"同日同時刻に亀山城から本能寺を足軽装束で行軍してみた(3) ~行軍経路~

本編は【その2 新月の夜】からのつづきです

まずはGooglemap

経路をまずはGoogle mapで検索してみた。徒歩ルートで検索するとなぜか大幅に南の大原野を経由するルートしか出てこない。車でのルートを検索すると、国道9号線(旧山陰道)で、トンネルを使うルートで21.1km、車で34分との事。
ちなみに通常のペースだと1時間に5㎞は歩けるので、この距離だと5時間ちょっとで到着できる計算だ。ただし、当然だが当時はトンネルは無い。

次に、実際に明智軍が通ったであろう経路について書かれている文献(サイト)を探してみた。これについては諸説有って実際のところは分からないが、下記の三つに集約される。その中の最も歩きやすい老ノ坂越えのルートを明智軍(少なくとも本体)は通ったと推測できる。今回も老ノ坂越ルートをとることにした。

この件に関してはいろいろな人が各々の意見を述べているのだが、書き出すとキリがないので、興味のある方は検索でもしてみてください。

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黄緑【明智越ルート
亀山城から愛宕山を越えるルート。愛宕神社は光秀も信仰しており、本能寺の変前に有名な句会を開いている。ただ、京に向かうには遠回りだし、亀山城を出てまず急峻な山道を登らなくてはならない。”中国地方に秀吉の応援に行く”という名目で出陣しているのに、反対方向へ向かうのは周囲にも不自然に映るはず。

青【唐櫃越ルート】
現代では軽い山道ハイキングルート。ルート上に人家は無く隠密行動をとるには良いのかもしれないが、大軍が暗闇の山道を時間をかけて越えるのには無理がある。山道で騎馬は無理。別動隊はこのルートを通ったのかもしれないが、少なくとも本隊はこのルートは通ってないと思う。時間もかかる。

赤【山陰道 老ノ坂越ルート
亀山と京を結ぶメインルート。隠密行動をとるのは無理かもしれないが、明智軍がここを通ること自体は不自然ではない。中国地方へ行く最短ルートでは無いが、老ノ坂を越えて大原野を通り山崎の方へ行くこともできる。
現在は老ノ坂峠にトンネルが有る(国道9号線)が、トンネルを使わない旧道も有る他、当時の古道も残っている(←今回通ってみて知った)。

老ノ坂峠を越えて、桂まで出れば後は道に迷うことは無い。京の都の通りは碁盤の目だ。問題なのは今も昔も、深夜の峠越えだ。事前に調べたとおり当日は新月の夜。漆黒の闇に包まれた木々の覆い茂る山道を無事に越えられるかだ。
完全に再現しようと思えば松明でも掲げて行くべきなのだろうが、それはさすがにまずい。懐中電灯&ヘッドライトを点けて、友達を誘って複数人で行くことにした。


【その4「亀山城出陣」へつづく】
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