見出し画像

なかまさの、これからの話

「取り柄のない人なんて、いない」

これが、ぼくがしるべで作りたい世界観です。
周りにいる人はみんなすごい、それに比べて自分はなにもできない、自信がない。そうやって、無意識に他の人と比べてしまうことで、自分の取り柄を見失ってしまいがちですが、そんなことはありません。
最高なものはみんな持っている。みんな、「こんなふうに生きたい」という自分の理想の姿を持っていて、みんな自分の輝いている瞬間を持っている。でも、周りの人、周りの空気、同調圧力が、冷たい雨のように降ってきて、冷たい雨にさらされて、自分の輝きをくもらせてしまう。それがぼくにとって、見ていられないんです。

ぼくの輝きがくもった瞬間

ぼくが輝いている瞬間は、映像を作ってみんなからすごいと言ってもらえるとき。中学2年生のころをきっかけに、今まで独学でのめり込むように映像を作り続けてきました。
しかし、中学3年生のとき、「これを作りたい」とわくわくしていたぼくに、「それを作って何になるの?」と心無い一言を投げかけられたことがあります。

「誰かに喜ばれたくて、作りたかっただけなのに。それってだめなことなの?」

本当は応援されたかったのに、「こうなりたい自分」に泥を塗られたような、自分の存在価値を否定されてしまったやるせなさを、そのとき感じました。

だから、それと同じように、誰かのわくわくが、周りからの不本意な現実によって押しつぶされそうになる瞬間に立ち会うと、居ても立ってもいられなくなるんです。

母校の生徒の自殺をきっかけに感じたやるせなさ

ぼくが初めて居ても立ってもいられないなったのは、去年の2月に流れた、とあるニュース。その内容は、母校の高校3年生の生徒が、受験に悩んで、飛び降り自殺をしたという。それを読んでいて、電車の中で涙が止まらなくなりました。

顔も名前も知らない、まして会ったこともない生徒のニュースでしたが、「いい大学に行かなければ、人生負け組」という周りの空気感、価値観に押しつぶされ、「死ぬ」以外に自分らしく生きる選択肢がないと思い詰めるほど悩んで、自ら命を絶ったのかと思うと、悔しくて仕方がない。

ぼくだって、当時は志望校に入れなかったが、その後でも自分の好きな映像制作に没頭し、自分らしい生き方を貫いてきました。だからこそ、「取り返しのつかない選択」なんてない。何かを目指すのに「遅い」なんてことはない。あとからいくらでもやり直せるし、あとからどうとでもなることを知っているから、彼のニュースはどうしても見過ごせなかったんです。

しるべでやろうとしていること

それ以来、「なりたい自分」を見つけ、「なりたい自分」に変化していく2ヶ月間のプログラムを、しるべの中で『FUKABORUクラス』として始めることにしました。これまでも、しるべにいる40名くらいの方と一対一でお話を聞かせてもらいながら、「あ、自分の生き方についての悩みがすごいクリアになって、やりたいことが明確になりました」と言ってもらいました。

でも、一回お話ししただけだと、なかなか人は変われない。

だから、2ヶ月間のクラスを開いて、その人の変化に寄り添いたい。その人の行動が変わるように一緒に走っていきたいと思うようになりました。

みんな、自分が自分らしいと思える生き方を歩めるはずだし、その道を邪魔する権利は誰にもありません。だからぼくは、あなたに寄り添って、「なりたい自分」になれるお手伝いをしたい。周りの空気、不本意な現実に押しつぶされない気持ちを、一緒に育んでいきたい。「自分らしく生きたい」と願うあなたと、一緒に肩組んで走らせてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?